少年は本を読もうとしたが、もう集中することができなかった。そわそわして緊張していた、というのも老人が真実を言ったのだとわかっていたのだった。売人のところへ行ってポップコーンを一袋買いながら老人が言ったことを彼に話して聞かせてやるべきかと思いにふけった。『時には物事をあるがままに放っておくほうが良い』、男の子は思い、そして何も言わなかった。もし話したら、売人は三日でもすべてを放棄することを考えるだろう、しかしその手押し車に馴染みすぎていた。彼はその苦痛を避けてやることができた。
町中をあてもなく歩き始めて港にたどり着いた。小さな建物があり、そこには窓口があって人々が切符を買っていた。エジプトはアフリカにあった。
「何か欲しいの?」窓口の男は尋ねた。
「明日かな」、少年は応えながら遠ざかった。羊を一匹売りさえすれば海峡の反対まで渡ることができた。それは彼を怯えさせる考えだった。
「また夢見る人だよ」、少年が遠ざかる間、窓口の男は助手に言った。「旅をするお金なんて持っていないのさ。」
窓口に立ったとき少年は羊たちのことを思い出して彼らのもとへ戻るのが怖いと感じた。二年間を過ごして羊飼いの技能のすべてを身に着けていた。毛刈りはできたし、身籠った羊の世話も、狼たちから動物たちを守ってやることもできた。アンダルシアのすべての野原と牧草地を知っていた。その動物たちそれぞれを売り買いするための適正な価格も知っていた。
最も長い道を通って友人の牧舎に戻ることにした。その町も城を持っていて、彼は石の傾斜を登って城壁のひとつに座ることにした。その上からはアフリカが見えた。誰かがある時、ほとんど全スペインを何年もの間支配したムーア人はそこから来たんだと説明していた。少年はムーア人が嫌いだった。ジプシーを連れてきたのは彼らだった。
その上からはほとんど町の全体、老人と話した広場も見ることもできた。
~続く~
46分。
短い節で、久しぶりにサクッと終わった。これくらいだとやりやすいわー。
窓口の男が少年を「soñador」と呼ぶところ。sueñoの人、つまり夢の人。辞書的には夢想家、空想家となるのだけど、サンチアゴ少年に対する窓口の男の言葉としてどうもしっくりこない。そしてこの物語全体として「夢を見る」というのが重要な役割を担っているので、そのニュアンスを残したくて「夢見る人」と訳したけど、、うーんこれも座りが悪いな、と思いつつ、なのでした。
ところで「夢」っていう言葉は本当に面白いと思う。未来に対して抱くのは「夢」、眠ってる間に見るのも「夢」。これは英語のdream、フランス語のrêve、スペイン語のsueñoもみんな同じなのね。でもさ、あの夢とその夢って、意識的だったり無意識的だったり、未来だったり無時間だったり、いろいろと違うわけで、同じ言葉でその二つを結びつけることないと思うわけです。それがこんなにいろんな言語でどれも同じ言葉を当てはめているのが面白いなあ、と、つくづく思うのでした。
スペイン語は、誰かの話とムーア人の来襲との時制関係が、あれ、これでいいんでっか?と思った。
Alguien le había explicado cierta vez que por allí llegaron los moros, que ocuparon durante tantos años casi toda España.
寛訳:誰かがある時、ほとんど全スペインを何年もの間支配したムーア人はそこから来たんだと説明していた。
この物語全体が過去のものとして語られているので、さらに過去のことを書くなら大過去では?でも誰かさんの話がもう大過去になってるから、ムーア人にはもっとすごい激過去にしてほしい、と思ったところまさかの普通の過去形。なんでですか。誰かさんが「説明した史実」だからかな?とか思うところはありますが、これは謎のまま。見落としているだけで他の場面でもこういうのは既に出てきているかも。
写真はチェコのプラハ城の城壁の上、ではなかったと思うけど、城を出たところから眺めた夕暮れ時のプラハ市。アフリカは見えません。2014年2月。