『あの老人に会った時間はなんだったんだろう』、と思った。夢を解釈する女性に会いに行っただけだった。女性も老人も彼が羊飼いであるという事実を重要視していなかった。孤独な人たちで、もう人生をあてにしておらずまた羊飼いがその羊たちを好きになっていくものだということを理解していなかった。彼は彼ら一匹一匹の細かいことまで知っていた。どれが足を引きずっているか、どれが二か月もすれば子供を産むかそしてどれが最も怠け者か。どのように毛刈りをしてどのように殺すかも知っていた。もし出発を決めたなら、彼らは苦しむだろう。
風が吹き始めた。彼はその風を知っていた。人々は『東風』と呼んだ、なぜならこの風と共に異教徒の群衆がやってきたのだ。タリファを知るまで、アフリカがこんなに近くにあるとは考えたこともなかった。これはとても危険なことだった。ムーア人が再び侵略してくるかもしれない。
東風はますます強く吹き始めた。『僕は羊と宝の間にいる』、少年は考えていた。慣れ親しんでいるものと手にしたい他のものとの間で決断をしなくてはならなかった。商人の娘もいたが、彼女は羊たちほど重要ではなかった、というのも彼に依存していなかったから。彼のことを覚えていないことさえあり得た。二日のうちに現れなかったとして、少女はそのことに気づきもしないと確信していた。彼女にとっては毎日が同じであり毎日が同じに見えるというのは太陽が空を渡るかぎり人生に現れている良いことを人々が感じ取らないでいるからだった。
『僕は父を、母をそして僕の町の城を手離した。彼らはそれに慣れて僕もそれに慣れた。羊たちも僕がいないことに慣れるだろう』、少年は思った。
その上から広場を見つめた。ポップコーンの売人は小袋を売り続けていた。若い連れ合いが老人と話していたベンチに座って長い口づけを交わしていた。
『ポップコーンの売人・・・』、彼は自分自身に、言葉を言い終わることないままに言った。それというのも東風がますます強く引き始めていて彼は顔に風を感じていた。風はムーア人を運んできた、それは本当だ、だがまた砂漠とベールに包まれた女性の匂いを運んできた。未知のもの、金、冒険・・・そしてピラミッドを探しにかつて出かけた人々の汗と夢を連れてきた。少年は風の自由さを羨み始めてそのようになれるのだと気づいた。何も彼を妨げてはいなかった、彼自身を除いては。羊たち、商人の娘、アンダルシアの野原、これらは彼の私伝説の通り道でしかなかった。
~続く~
1時間17分。
「少年は風の自由さを羨み始めてそのようになれるのだと気づいた。何も彼を妨げてはいなかった、彼自身を除いては。」
くう~~~!!少年が気づく瞬間。いよいよ始まるなあ、という感じですね、良い!・・・すでに寛訳は若干の疲れを感じ始めていますが・・・!
今回は冒頭から慣れない表現でつまづきました。
«Maldita la hora en que encontré a ese viejo»
このMalditaっていうのが、よく聞くのは「嫌な」「忌々しい」「こんちくしょー」的な意味合いなので、ん?と。西和辞書を引くとそのほかに、冠詞と名詞を伴って「少しも~ない」という意味、とあるが、それもよくわからない。そこでマイルールで西和辞書のほかに使用を認めているReal Academia Española/スペイン王立アカデミーのDiccionario de la lengua española/スペイン語辞典を引いてみました。
5. adj. ponder. coloq. U., ante un nombre con artículo determinado, para expresar la ausencia total de algo.
寛訳:形容詞、加重、口語、古語。定冠詞つき名詞の前で、何かが完全に欠如していることの表現。
うーん、うん。まあわからなくはないんだけど、、つまりこの文脈ではなんなんだ。老人と会った時間というのは存在するけど、ほぼなかったと。ただし短いという意味ではあるまい、結構しゃべってたし。短いというわけではないが、ほぼない。ない。なかったようだ?なんだったんだ・・・?
ということで、『あの老人に会った時間はなんだったんだろう』と訳してみました。ちょっといい加減というか、ハマり切った訳し方ではないけど、ちょうどこのくらいな気もしています。この一句だけで10分はかかった。
そのほかにも、Levante/東風というのが出てきました。これ辞書を引くと西和でもDLEでも「東風」「東からの風」とあるけど、それだとその後の「なぜならこの風と共に異教徒の群衆がやってきたのだ」とのつながりが悪い。でもこれ、辞典をじっくり見ると、意味は「東」、「東風」、「スペインの地中海地方の一般名称」、「地中海の東に面した国々の名称」とあって、どうも東につながりが深い。地中海の東に面した国々というのにはチュニジア、トルコ、キプロス、イスラエル、レバノン、シリア、エジプトが含まれるものらしく、つまりこの東側のアラブ地域からの風と共に異教徒がやってきた、ということのようだ。これは地理と歴史をあわせて知っておかないと、ちょっとよくわからない箇所だったのだと思う。
(なおLevanteって、Levantar/起きるの名詞じゃないの?と思ったら、やっぱりそういう意味もあるみたい。そう考えると「起きる」と「東」が結びついてるのは太陽由来だろうと思うけど、そこまでは調べませんでした。でもそうに違いない。)
あとは個人的に、parejaを普通ならカップルと訳すところ、「連れ合い」としたのは古いかなと思いつつこだわってみたところ。物語全体が古いというか、昔語りな雰囲気を携えているので、あまりカタカナ語を使いたくないなと思うのでした。
今日の写真は、風でしょ、でも風なんて写真ないよ、と思ったけど。ありました。大学院のコンクリート研究室にて、仲間たちの助けを借りてなんとか風洞第2号(一定の風を起こす実験装置)を作って風になった写真です。2008年12月。