錬金術つかい(寛訳26)(“El Alquimista”)

『おもしろいな』、少年はその本の始まりにある埋葬の場面をもう一度読もうとしながら思った。『読み始めてほとんど二年になってこれらの頁を読めないなんて。』彼を遮る王はいなかったにもかかわらず、集中することができなかった。まだ決断に疑いを抱いていた。だがひとつ大事なことに気づいていた、決断とは単に何かの始まりだった。誰かがある決断をしたときというのは、強大な流れの中に飛び込んでいるのであり、それはその人を決断したときには夢にも思わなかったような場所まで連れて行くのだった。

『僕の宝を探しに行くと決めたときは、ガラスの店で働くことになるとは思いもよらなかった』、少年は思い、その理屈を確かめた。『同じように、このキャラバンは僕の決断かもしれない、けどそれが取ることになる推移はいつだって神秘なんだ。』

彼の前にはひとりのヨーロッパ人がいて、同じく本を持っていた。そのヨーロッパ人は感じが悪くて彼が入った時には蔑んで見ていた。良い友達になることだってできたが、そのヨーロッパ人は会話を遮ったのだった。

少年は本を閉じた。そのヨーロッパ人に似て見えさせるようなことを何もしたくなかった。ウリムとトゥミムをポケットから取り出して遊び始めた。

その外国人は叫び声をあげた。

「ウリムとトゥミムだ!」

男の子は素早く石を守りなおした。

「売り物じゃないよ」、言った。

「大した値はしないさ」、イギリス人は言った。「ただの水晶だ。この大地には何百万という水晶があるけど、わかる人には、これはウリムとトゥミムだ。この世のこんな場所にあったなんて知らなかった。」

「王が僕にこれをくれたんだ」、少年は言った。

外国人は黙り込んだ。それから手をポケットに入れて、震える手で、同じ二つの石を取り出した。

「王と言ったかい?」、言った。

「それじゃ君は王が羊飼いと会話するとは信じないんだね」、男の子は言い、今度は会話を終わらせたいと思っていた。

「反対だよ。羊飼いというのは世界の残りが認めることを避けた王を最初に認めた人たちだった。だから王が羊飼いと会話をするのはずいぶんもっともなことだ。」

そして、少年にはわからない恐れをたたえつつ言い加えた。

「聖書にある。僕にこのウリムとこのトゥミムの作り方を示してくれたまさにその本だ。これらの石は神から許された占いの唯一のかたちだった。神官はこれらを金の十字架で運んでいた。」

少年はその集積所にいることを嬉しくなった。

「きっとこれはしるしなんだ」、イギリス人は言った、声に出して考えているように。

「誰がしるしのことを言ったの?」

男の子の興味は刻一刻と膨らんだ。

「人生の全てはしるしだよ」、イギリス人は言った、今度は読んでいた雑誌を閉じつつ。「宇宙は全てのものが理解する言語でできている、でもそれはもう忘れられてしまった。僕はこの宇宙の言語を探しているんだ、とりわけね。」

≫それで僕はここにいるんだ。なぜならこの宇宙の言語を知っている人に会わなくてはいけないからね。錬金術師さ。

会話は集積所の頭によって遮られた。

「運がいいな」、太ったアラブ人が言った。「今日の午後にキャラバンがひとつアル・ファヨウムに発つ。」

「でも僕はエジプトに行くんです」、少年は言った。

「アル・ファヨウムはエジプトだよ」、主人は言った。「君はアラブのどの階層だい?」

少年はスペイン人だと言った。イギリス人は満足に感じた、アラブの装いをしているが、この若者は、少なくとも、ヨーロッパ人だった。

「主はしるしを『運』と呼ぶ」、イギリス人は言った、太ったアラブ人が去ってから。「もしできることなら、『運』と『巡り合わせ』という言葉について巨大な辞典を書くんだが。宇宙の言語はこれらの言葉で書かれているんだ。」

それからウリムとトゥミムを手に持つこの少年に出会ったのは『巡り合わせ』ではなかったと彼に述べた。彼もまた錬金術師を探しに行くのかと尋ねた。

「僕は宝を探しに行くよ」、少年は言って、そしてすぐに後悔した。

しかしイギリス人はそれを重要視しないようだった。

「ある種、僕もだ」、言った。

「それに錬金術がいったい何のことかも知らないんだ」、少年は言い加え、そのとき集積所の主人が出発に向けて彼らを呼び始めた。

~続く~


1時間56分。

意外とまだ出発してなくてずっとタンジェだけど、感じの悪いイギリス人と出会えて良かったね少年。これイギリス人のほうからすると、なんやとーこの若いののほうがめっちゃ「持ってる」感あるやんー、ってところだと思うけど、そうだよ、すまんね、なんせこの本の主人公なもんでな。

しかしこのイギリス人もずいぶん勉強したあとが見て取れる。ウリムとトゥミムを自作するなんてすごい!・・・実際に聖書に載ってるのかな作り方・・・。

「決断とは単に何かの始まりだった」の節、好きだなあ。どこへたどり着くかわからないのは恐怖でもあるけど、そこまで行ってしまうほどのものが本当の決断なんだろうな。飛び込んで思った通りのところに出るようなものも、ひとつの決断の結果かもしれないけど、それはもしかしたら大した決断ではないのかもしれない。

さてスペイン語小話。これ今回は、読み始めた瞬間にひとつありました。

«Tiene gracia»

寛訳:『おもしろいな』

gracias/ありがとう。の、単数形、gracia。普段は複数形でのありがとうの意味で遣うことがほとんどだけど、実は神の恩恵、好意、恩赦、生まれつきの優美さ、面白さ・おかしさ、返済猶予など、いろんな意味があるのね。ちなみに対応する英語はgrace、フランス語はgrâce。ほうなるほど!音もほぼ同じ!ただスペイン語だけが複数形でありがとうにしたのね。謝を重ねた謝謝でありがとうの中国語と同じ発想と言えるのかもしれない、中国語ほとんど知らないけど。

あと言語オタクとして(言ってしまった)外せないのは次の一節でした。

–Si yo pudiese, escribiría una gigantesca enciclopedia sobre las parabras «suerte» y «coincidencia» –.

寛訳「もしできることなら、『運』と『巡り合わせ』という言葉について巨大な辞典を書くんだが。」

読みたい!読みたいぞその辞典!

ただその前に自分なりにこの二語を読むと、まずsuerte、これは運と訳して良いのか少し迷いどころだった。他に運命とか偶然・成り行きという意味もあるので、日本語の「運」よりも時間のつながりの意味合いが含まれているように思ったのです。話中でまた同じ語が出てきたときに整合とれるのかも不安だし・・・。ただこれ、日本語もよく考えてみると「運び」というかたちでつながりを含む語になっていて、あながち間違えていない、むしろ良くできている語なのかも?ということで、「運」を採用することにしました。

coincidenciaについては「巡り合わせ」と訳をつけたわけですが、これはincidencia/出来事がco-つまり共に起きるということで、「一致」という意味でも遣われるけど、まあここでは「巡り合わせ」で良いか、と思ったのでした。

はい、そんな具合で締めの写真。インド南東の都市チェンナイから南へしばらく走ったところにある、石の玉ですが、わかる人にはわかる、これは「クリシュナのバターボール」です。2011年9月。

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