新参者たちはすぐにアル・ファヨウムの部族長たちのもとへと連れられて行った。少年は見ているものを信じられなかった、ヤシの木々に囲われたひとつの井戸–歴史の本であるとき読んだように–であるどころかオアシスはスペインの多くの村々よりもずっと大きかった。三百の井戸、五万のナツメヤシの木々そして広く散在する色とりどりのたくさんのテントがあった。
「千夜一夜物語みたいだ」、イギリス人は言った、錬金術師に会いたくてたまらなくなりながら。
すぐに子どもたちの輪が見られ、到着した動物たち、ラクダたちそして人間たちを興味深く見つめていた。男たちは何らかの戦闘を見たかを知りたがり女たちは商人たちが持ってきた織物や石を奪い合っていた。砂漠の沈黙は遠い夢のようだった、人々は止めどなく話し、笑い叫んでいた、あたかも改めて人々の中に入るため精神世界から抜け出したかのように。満足し幸せだった。
前日の用心にもかかわらず、ラクダ引きは少年に砂漠のオアシスというものは常に中立地と考えられている、なぜならその住民のほとんどが女と子供であり、どちらの徒党にもオアシスがあるからだと説明した。こうしたわけで、戦士たちは砂漠の砂上で戦うだろうけれども、避難の町としてオアシスを尊重するだろう。
キャラバンの隊長はやや難儀しながら全員を集めて案内を与え始めた。士族間の戦争が終わるまでそこに留まる。訪問者であるから、オアシスの住民たちとテントを分かち合わなくてはならない、彼らに最も良い場所を譲るかもしれないが。もてなしの決まりなのだ。それから全員、自身の見張り番さえも含めて、部族長たちが指した人々に武器を渡すようにと頼んだ。
「戦争の掟なのです」、キャラバンの隊長は説明した。「こうすることで、オアシスは軍隊も戦士たちも泊めることができなくなっているのです。」
少年が驚いたことに、イギリス人は上着からクロムめっきされた拳銃を取り出して武器を集めていた男に渡した。
「なんのために拳銃を?」尋ねた。
「人々を信用することを学ぶためさ」、イギリス人は応えた。探求の終点に到着したことに満足していた。
少年は、代わりに、その宝のことを思った。その夢に近づくにつれて、ものごとはますます難しくなっていた。年老いた王が『始めたばかりの人の幸運』と呼んだものはすでに働いていなかった。働いていたのは、彼はわかっていたが、私伝説を求める者の辛抱強さと勇気の試験だった。そのため彼は急ぐことができなかったし、待ちきれなくなることもできなかった。もしそのように振舞えば、彼の道のりに神が置いたしるしを見なくなってしまうだろう。
『・・・僕の道のりに神が置いた』、少年は思い、驚いた。その瞬間までしるしとは世界に属するものだと考えていた。食べるとか眠るといったこと、愛を探すようなこと、あるいは職を手に入れるといったこと。これがしなければならないことを示すのに神が用いていたひとつの言語であるとはかつて一度として考えたことがなかった。
『待ちきれなくなるんじゃない』、自分自身に繰り返した。『ラクダ引きが言ったように、食べるときに食べよ。そして歩くときに歩くんだ。』
最初の日は皆が疲れに眠った、イギリス人さえも。少年は彼から離れたところに身を落ち着けていた、自分と似たような年齢の他五人の若者たちがいるテントに。砂漠の人々であり大きな町々の物語を知りたがっていた。
少年はその羊飼いの人生について彼らに語り、そしてガラスの店での経験を語り始めようとしていた時にイギリス人が現れた。
「午前中ずっと君を探したぞ」、彼を外に連れ出しながら言った。「錬金術師がどこに住んでいるか見つけるのを助けてもらわないといけないんだ。」
単身の男が住んでいるテントを巡り始めた。錬金術師というものは必ずやオアシスの他の人々と異なる生き方をしているだろうし、ほぼ確実にそのテントには永久に火の入った炉があるだろう。大いに歩き、ついにはオアシスが想像できていたよりもずっと大きく、何百ものテントがあることを確信したのだった。
「ほとんどまる一日を無駄にしたな」、イギリス人は言った、オアシスの井戸のうちひとつの近くに二人して座りながら。
「尋ねたほうが良いよ」、少年は言った。
イギリス人はオアシス内でその存在を知らしめたくなくその提案に対して決断しかねた。しかし結局は同意して少年に、アラブ語をより上手に話したので、それをしてくれるよう頼んだ。後者は雄羊の皮の袋に水を貯めようと井戸に行っていた女性に近づいた。
「こんにちは、ご婦人。錬金術師がこのオアシスのどこに住んでいるのか知りたいのですが」、少年は尋ねた。
その女性はそのような話は一度も聞いたことがないと応えてすぐに立ち去った。その前に、ただし、黒い装いの女性と話をしてはならない、なぜなら結婚した女性だからであり、彼はそのしきたりを尊重しなくてはならないと男の子に知らせてやった。
イギリス人はひどく落胆してしまった。この全ての旅をして何もなかったのだ。少年もまた悲しんだ。彼の連れもまたその私伝説を探していて、誰かがこれをするときには全宇宙がその人が望むことを成し遂げるように取り計らうのだ。年老いた王が言ったことで、間違っているはずがなかった。
「僕はこれまで一度も錬金術師の話を聞いたことがなかったんだ」、男の子は言った。「そうじゃなきゃ、君を助けようとしてみるんだけど。」
突然イギリス人の目が光った。
「それだ!おそらく誰も錬金術師が何かを知らないんだ!村の中で病気を治す男について尋ねてくれ。」
黒くまとった女性が何人か井戸へ水を取りに来たが、少年は彼女たちの誰にも話しかけなかった、どんなにイギリス人がしつこくせがんでも。そうしてついにひとりの男が近づいてきた。
「ここで病気を治す人を知っていますか?」男の子は尋ねた。
「アラーは全ての病気を治します」、男は言った、見るからに外国人に怯えながら。「あなた方は魔術師をお探しですね。」
それからコーランの何節かを暗唱したのちに、自分の道をたどっていった。
他の男が近づいてきた。彼はもっと年老いていて小さなバケツをひとつ持ってきただけだった。少年は質問を繰り返した。
「どうしてそんな類の人を知りたいのです?」そのアラブ人は別の質問で応えた。
「僕の友人はその人に会うため何か月も旅してきたからです」、男の子は応えた。
「もしそんな人がオアシスにいたら、ものすごい力があるに違いありません」、老人は言った、しばし熟考したのちに。「部族長たちすら必要とするときにその人に会うことはできません。彼がそうと決めたときだけなのです。」
≫戦争の終わりを待ってそれからキャラバンと共にお発ちなさい。オアシスの暮らしに入りたがってはなりません–遠ざかりながら締めくくった。
しかしイギリス人は大喜びした。正しい道筋にいたのだ。
最後に黒くまとっていない少女が現れた。肩に水がめを持ち頭はベールで覆われていたが、顔は露わになっていた。少年は錬金術師について尋ねようと近づいた。
それからは時が止まり世界の魂が全ての力をもって彼の前に湧き出してきたかのようだった。その黒い瞳、微笑みと沈黙との間で決めかねたその唇を見たとき、彼は皆が口にし地球上のすべての人々が心から理解することのできた言語のうち最も重要で最も賢明な部分を理解した。そしてこれは愛といい、人間そして砂漠そのものよりも古いもの、そしてそれにもかかわらず瞳のふたつの対が交わる時には、ちょうどその井戸の前で瞳のふたつの対が交わったような時にはいつでも、常に同じ力をもって新たに湧き出すものなのだった。唇は最終的に微笑みをたたえることに決め、そしてそれはひとつのしるし、彼がそれと知ることないまま人生のそれだけのあいだ待っていた、羊や本の中そしてガラスや砂漠の沈黙の中に探し続けていた、しるしなのだった。
そこには純粋な世界の言語があった、説明もなく、というのも宇宙は終わりのない空間におけるその道のりを続けるために説明を必要としなかったのだ。少年がその瞬間に理解した全てのことは彼の人生の女性の前にいるということであり、そして何の言葉の必要もなく、彼女もまたそれがわかったに違いなかった。世界のいかなることよりもこのことを確信していた、彼の両親、そして彼の両親のまた両親は出かけ、心を寄せ、誓い合い、その人をよく知って金を持ってそれから結婚するのだと言うだろうけれども。これを言う人々はおそらく宇宙の言語を知ることが全くなかったのだろう、というのも私たちがそれに浸るとき、世界には他の人を待っている人がいつだっているのだということを理解するのは簡単だからだ、それが砂漠の真ん中であっても、大きな町の真ん中であっても。そしてこれらの人が交差してその瞳が出会ったとき、全ての過去と全ての未来はその重要さを失い、ただその瞬間そして太陽の下のすべてのことは同じ手によって書かれたという信じがたい確信があるだけだ。愛を目覚めさせる手、そして太陽のもとで働き、休みそして宝を探すそれぞれの人々のために魂を二分させた手だ。なぜならこれがなければ人類の夢には何の意味もないだろうから。
『マクトゥブ』、少年は思った。
イギリス人は座っていたところから立ち上がって男の子を揺さぶった。
「ほら、彼女に尋ねろよ!」
彼は若者に近づいた。彼女は再び微笑んだ。彼もまた微笑んだ。
「名前はなんて言うの?」尋ねた。
「私はファティマ」、若者は言った、地面を見ながら。
「僕がいた土地の何人かの女性たちもつけていた名前だ。」
「預言者の娘の名前なの」、ファティマは言った。「戦士たちがそこへもたらしたのよ。」
その繊細な少女は誇らしげに戦士たちの話をしていた。脇でイギリス人がしきりに訴えたので、少年は彼女に全ての病気を治す男について尋ねた。
「世界の秘密を知る男ね。砂漠のディジンと会話をするの」、彼女は言った。
ディジンとは悪魔だった。そして少女は南のほう、その妙な男が住んでいる場所のほうを指し示した。
それから水がめを満たして去った。イギリス人もまた去った、錬金術師を探して。そして少年は長いあいだ井戸の脇に座っていた、いつの日か東風が彼の顔にあの女性の香りを残したこと、存在していることを知る前ですら彼女のことを愛していたこと、そして彼女への愛は世界の全ての宝に出会わさせるだろうことを理解しながら。
~続く~
4時間57分。ふーっ!めっちゃ長かった!!
これ原稿をアップロードする前に不自然なところがないかチェックするため全体を読み直しするんですけど、途中で他の用事してたこともあって、最初のほうとか忘れてたもんね!なんつー長い節!区切り方のルールがわかんないよ!!
そしてまあ、出会いましたねー、ファティマはん!これまで商人の娘、ガラス商人、イギリス人、キャラバン隊長、ラクダ引きなどいろんな人々が出てきたけども、名前を名乗ることすら許されなかったわけですが。サンチアゴ少年、老王メルキセデクに続いて、ファティマはんあっさりと名前公開です!VIPあつかい!個人情報の取扱い注意!そして邪魔くさいイギリス人に「尋ねろよ」と促されて名前を尋ねるサンチアゴ少年ナイス!よっ色男!!イギリス人邪魔!!!
しかしこう、少年の愛の感じとか、ファティマはんの「なのよ」みたいな語尾とか、ちょっとこう慣れない雰囲気が続いて今日の寛訳は難儀しました。パナマの髭坊主のおじさんが「ファティマよ」とか言ってるというのはどうか脳内で割愛していただいたうえで、落ち着いて読み進めていただければと思います。
さてスペイン語小話ですが、今回は文法的なものもありつつ、それよりも抽象的というか読み解きにくい文句が増えてきているような気がするので(そうそう、日本語の文庫版を読んだときも、後半にかけてこうやって少しずつ迷子になったような気がするな)、そこらへんの解きほぐしを試みることにします。
Hasta aquel momento había considerado las señales como algo perteneciente al mundo. Algo como comer o dormir, algo como buscar un amor, o conseguir un empleo. Nunca antes había pensado que éste era un lenguaje que Dios estaba usando para mostrarle lo que debía hacer.
寛訳:その瞬間までしるしとは世界に属するものだと考えていた。食べるとか眠るといったこと、愛を探すようなこと、あるいは職を手に入れるといったこと。これがしなければならないことを示すのに神が用いていたひとつの言語であるとはかつて一度として考えたことがなかった。
ここなんですが、そのまんま寛訳はしているんですが、意味として前と後の違いがどうもわかりにくい。今、解説を加えようと再読してみて、改めてこんがらがってしまいました。
スペイン語を見る限り、第一文のalgo perteneciente al mundo/世界に属するもの、と第二文のAlgo como comer o dormir…/食べるとか眠るといったこと…、では同じalgoという言葉を遣っているので、第二文の内容は第一文に取り込まれるように見える。ただそうすると、第三文でéste era un lenguaje/これが…ひとつの言語である、のéste/これ、ってどれ??となる。「世界に属するしるし」のことかな、でも、「しるし」が神の用いた言語のひとつっていうのは、なんとなくわかっていたことのような気がするし。
となると、第二文は第一文と切り離すのかしら?つまり、食べるとか眠るといったことが、神が用いていた言語であるとは考えたことがなかった、と。食べるとか眠るといったことが、少年が思っていた「世界に属するもの」ではない、とすれば、成り立たなくもない解釈。「世界に属するもの」を「物質的に示されたもの」とすれば、この新しいものは「行為」になるので、そこに違いがあるのかな。食べる時に食べる、寝る時に寝る、これらは何か物質的に示されたことではないが、しなくてはならない行為であり、神に用いられた言語のひとつである。と。
く、くるしい。ゆっくり読みすぎて深みにはまっているような気もします。これを読んでくれた人が深みにはまることなく、願わくば僕を深みから救い出してくれることを望みます。
次。もう一つだけにしておこう。
La Mano que despierta el Amor, y que hizo un alma gemela para cada persona que trabaja, descansa y busca tesoros debajo del sol. Porque sin esto no habría ningún sentido para los sueños de la raza humana.
寛訳:愛を目覚めさせる手、そして太陽のもとで働き、休みそして宝を探すそれぞれの人々のために魂を二分させた手だ。なぜならこれがなければ人類の夢には何の意味もないだろうから。
これまた・・・わからん!La Mano (…) que hizo un alma gemelaという部分が、もうわからん!gemelaっていうのが西和辞書では「双生児の」という意味で、DLEでは「対とまったく同じようなもの」といった意味が書かれているのだけど、え、つまりどういうこと?働く、休む、宝を探す、人類が夢を見る意味・・・sin esto/これがなければ、の「これ」とかもよくわかんないし・・・。かなり頭をひねった後、とりあえずここは「『手』が魂を二分させた」/分身・多面性を持たせたというかたちにしました。こうしておけば、あとは読む人がなんとか解釈できるかもということで。
ただ後づけ的に、個人的な勝手な解釈をするならば、二分されて二面をもった魂のうち一方は愛に目覚め、他方は働き休み宝を探す。あるいはさらに勝手な解釈を加えると、愛に目覚めながら働く、愛に目覚めながら宝を探すというように、二つじゃなくても複数のことに魂が向くようになっている、という話なのかもしれない。だとすると「これがなければ」の「これ」は「『手』が魂を二分/多面化させたこと」という意味で、その魂の多面性のために人類はひょんな夢を見る、とか・・・?
こちらも深みにどっぷりハマった感があります。もっとサラッと読まないとだめなのかもしれない。
そういう意味じゃなくてこうじゃないか、とか、もしあればコメント機能でもらえるとうれしいです。あと、寛訳でこう書いてるけど、なにどういうこと?意味わかんないっすけど、みたいのが他にもあれば、コメントもらえたら考えてみたいと思います。ま、他ツールでもいいですけど。
・・・ぜーぜーはーはー。今日は後書きもけっこうややこしくて、しかも他の用事もいろいろあったのでもう夜中です。遅くなりましたがようやく写真にたどりつきました。
やっぱり今日はファティマはんでしょ、と思ったのですがそんなビビビときた聖子ちゃんみたいな写真もないし、んーなんだろうと思いを巡らすと、ひとつ思い浮かんだのがイタリアはミラノ郊外、ベルガモの広場にいたパフォーマンス女性。彫刻風に装飾して姿をビタッと止めるパフォーマンスですね、最初気が付かないままベンチで休憩してたら、数分おきに形をゆるゆる変えているのでやっと気づきました。ああ、これは綺麗だと。僕パフォーマーの方とかにお金を出すことはほとんどないのですが、これは出してもいいなと思った、のだが、他の人がお金をいれた瞬間に目を見開いて滑稽な動きをして驚かす、という場面を見て一気に愛が冷めてしまい、結局お金を出さなかったのでした。でもこうして思い出すくらいなのだから、少しくらい出したらよかったな。2015年6月。