錬金術つかい(寛訳42)(“El Alquimista”)

翌朝アル・ファヨウムのヤシの木々の間には二千の武装した男たちがいた。太陽が空の最も高いところへつく前に、五百の戦士が地平線に現れた。騎兵たちは北部からオアシスに入った、平和な遠征に見えたが、その白いマントのなかには武器を隠し持っていた。アル・ファヨウムの真ん中にある大きなテントの近くに着いたとき、三日月刀と長銃を取り出した。そして空になったテントを襲った。

オアシスの男たちは砂漠の騎兵たちを取り囲んだ。三十分後には四百九十九の身体が大地に四散していた。子どもたちはヤシの森の逆端にいて何も見なかった。女たちはその夫のためにテントの中で祈っていて同じく何も見なかった。四散した身体がなかったら、オアシスは普通の一日を過ごしているように見えただろう。

一人の戦士だけが生き延びた、軍隊の指揮官が。午後に部族長たち前に引き立てられ、彼らはなぜしきたりを破ったのかと彼に尋ねた。指揮官はその部下たちが飢えと渇きを抱えており、これほどに長い戦闘の日々に疲れ切っていて、そして戦いを再開できるようオアシスをひとつ奪取することを決めたのだと応えた。

部族長は戦士たちのために残念に思う、しかししきたりは決して侵されてはならないのだと言った。砂漠において変わる唯一のものは砂丘なのだ、風が吹いたときに。

それから指揮官には名誉なき死の宣告がなされた。刃によってないし銃の弾で死ぬのではなく、同じく死んだヤシの木で絞り首にされ、その身体は砂漠の風に揺れた。

部族長は外来人を呼んで五十枚の金の硬貨を与えた。それからエジプトのホセの物語を再び思い起こさせてオアシスの相談役になってくれと頼んだ。

~続く~


49分。

戦いがあり、そして終わりました。中央のテントを襲った時点で4倍の敵に囲まれ、全滅する砂漠の軍隊。すんなりと書かれているけども、かなり迫力のある場面だったと思う。寛訳でそれが伝われば良いですが。五百人が襲ってきて、その全員が死に、オアシスの男たちは誰も死ななかったんだね。ものすごい圧倒の仕方だ。

スペイン語では気になった表現ひとつ。戦いが三十分で終わった直後の場面。

Si no hubiera sido por los cuerpos esparcidos, el oasis habría parecido vivir un día normal.

寛訳:四散した身体がなかったら、オアシスは普通の一日を過ごしているように見えただろう。

Si + pretérito pluscuamperfecto de subjuntivo, + condicional perfecto、接続法過去完了+直接法過去未来完了で、~だったら~だっただろうっていう過去の非現実的仮定文の典型的な形ですね。この話中で結構出てくるので、ずいぶん慣れてきました。まあ読めるけど書けないっていうパターンな気もしますが。。

で、それはそれでイイネーなんだけど、この中で、んーちょっと何かしらってなったのが、Si no hubiera sido porという部分。sido porってなに?となりました。西和辞書によるとこれ、a no ser por…/…がなかったら、という成句のようです。ここではaではなくsiが来ているけど、siの意味でaが遣われることもあるので、ここはそういう置き換えがあったのでしょう。

こういう成句が話中に結構出てくるので、もしかしたらもう調べたことがあって小話としても取り上げてたりするかも、と思ったりするけど、まあ覚えてないならしょうがない。こうやって何度でも辞書を引いて調べて覚えていくしかないと思います。好きな本だとこういうことが前向きにできるので良いですね。

今日は本文も短かったしあっさりめで写真にうつります(いつも長くてすみません読んでくださっている方たち)。今回の内容だとあまり写真が浮かばなかったのだけど、タイのアユタヤ遺跡にしました。古都アユタヤは1767年にビルマ軍の攻撃で滅亡しますが、その際にビルマ軍は仏教を否定するため仏像の頭部を片っ端から切り落としたそうです。僕がこの遺跡を訪れたのは2006年1月で今から14年前になるのですが、この光景は強いインパクトがあって記憶に残っていました。改めて見返してもなかなか印象の深い写真です。なおコンパクトデジカメで撮ったこの写真、1024×768ピクセルでサイズ254kbという、2006年を思わせるそのファイルプロパティにも深く感銘を受けたことを申し添えておきます。

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