錬金術つかい(寛訳43)(“El Alquimista”)

太陽が完全に沈んで一番星たちが現れ始めたとき(あまり輝いてはいなかった、というのもまだ満月があったから)、少年は南のほうへ歩いて向かった。ただひとつだけテントがあり、通りかかった何人かのアラブ人はその場所はディジンだらけだと言っていた。しかし少年は座って長いあいだ待った。

錬金術師はすでに月が空高くなっているころに現れた。肩に二羽の死んだハイタカを乗せてきていた。

「ここにいます」、少年はいた。

「それではいけないはずだ」、錬金術師は応えた。「それとも君の私伝説はここまでたどり着くことだったのかい?」

「士族間の戦争があるのです。砂漠を横断することがなりません。」

錬金術師は馬から下りて少年に彼と共にテントへ入るよう合図をした。それはオアシスで知っていた他の全てと同じようなテントだった–真ん中にある大きなテント、おとぎ話のような贅沢を尽くしたものを除いて–。男の子は目で錬金術の器具や炉を探したが、何も見つからなかった、ただ数冊の積み重ねられた本、料理のためのかまどそして不思議な絵でいっぱいのじゅうたんがあるだけだった。

「座りなさい、茶を用意するから」、錬金術師は言った。「それで一緒にこのハイタカを食べよう。」

少年は前日に見たのと同じ鳥たちだろうかと疑ったが、何も言わなかった。錬金術師は火をつけて少しすると肉の美味しそうな匂いがテントを満たしていた。水タバコの香りよりも良かった。

「なぜ僕に会いたいのですか?」少年は尋ねた。

「しるしのためだよ」、錬金術師は応えた。「風が私に君が来ると語った、そして君が助けを必要とすると。」

「僕ではありません。また別の外国人、イギリス人です。彼があなたを探していたのです。」

「彼は私に出会う前に他のものごとに出会わなければならない。しかし適切な道のりにいるよ、もう砂漠を見始めた。」

「それで僕は?」

「何かを望むときには、全宇宙がその人がその夢を実現できるよう取り計らう」、錬金術師は言った、年老いた王の言葉を繰り返して。少年は理解した、もう一人が彼をその私伝説へと導くために道のりの途中にいたのだ。

「そうすると、あなたが私に教えてくれるのですか?」

「いいや。君はすでに必要なすべてのことを知っている。私はただ君がその宝の方へとたどっていくのを助けてあげるだけだよ。」

「でも士族間の戦争があります」、少年は繰り返した。

「私は砂漠を知っている。」

「もう僕の宝は見つけました。ラクダを一頭、そしてガラスの店のお金と五十枚の金の硬貨があります。僕の地において裕福な男になれます。」

「しかしそのいずれもピラミッドの近くではないね」、錬金術師は言った。

「ファティマがいます。これは集めることのできた全てのものよりも大きな宝です。」

「彼女もまたピラミッドの近くではない。」

黙ってハイタカを食べた。錬金術師は一本のボトルを開けて赤い液体を少年のコップに注いだ。それはワインで、彼の人生で飲んだなかで最も良いワインのひとつだった。しかしワインは戒律で禁じられていた。

「悪いのは人の口に入るものではない」、錬金術師は言った。「悪いのはその口から出るものだ。」

少年はワインで陽気に感じ始めた。しかし錬金術師は彼に恐れを抱かせていた。テントの外に座り、星たちを曇らせる月の輝きを見つめた。

「飲んで少し気晴らしをしなさい」、錬金術師は言った、男の子がそのたびますます陽気になっているのに気づきながら。「休みなさい、戦士がいつも戦いの前に休むように。しかし君の心が君の宝と共にあることを忘れてはならないよ。そしてこの道のりのあいだで君が発見した全てのことが何の意味も得られなくなるように君の宝は見つけられなくてはならない。」

≫明日君のラクダを売って一頭の馬を買いなさい。ラクダは油断がならないからね、何千歩も歩いて疲れのしるしを何も出さない。突然、だけれども、膝をついて死んでしまう。馬は少しずつ疲れていく。それで君はそれに何を要求できるのか、あるいはどの瞬間に死んでしまうのがいつだってわかるんだよ。

~続く~


1時間23分。

まず忘れた人のために。「ディジン」というのは悪魔のことでした。病気を治す男について尋ねられたファティマはんが「世界の秘密を知る男ね。砂漠のディジンと会話をするの」と言ったところで登場してます。第36節参照。

さて、ついに錬金術師との交流が始まりました。「ここにいます」に対して「それではいけないはずだ」なんて、なかなか洒落た返しだけれども、その前にまず「あー良かった!生きてたー!」だし、「ごめん待ったー?」だし、「ていうか昨日は驚かしてごめんねー頭ちょっと切っちゃったでしょ大丈夫?絆創膏ある?」とか、もう少し気を遣っても良いところだよ。

でもまあ、良いワイン出してくれたし、悪い人じゃなさそうです。悪い人じゃなさそうだな、という思いを込めた口調にして訳しています。

スペイン語小話は、ひとつ、この物語全体を通したキーワードに関してです。

それはseñal、ここまで「しるし」と訳してきた言葉です。「しるしをたどって私伝説を生きる」というような書き方をしてきました。この物語全体のキーワードとして、老王の言葉、ガラス商人の言葉、サンチアゴ少年が見聞きしたもの、いろんなところにseñalが出てきていて、なのでこれを一貫して「しるし」としてきたのです。

が、今節、錬金術師がこんなことをしたんです。

El Alquimista bajó del caballo e hizo una señal al muchacho para que entrase con él en la tienda.

寛訳:錬金術師は馬から下りて少年に彼と共にテントへ入るよう合図をした。

これは、「合図」と訳すしかなかった。さすがに「入るようしるしをした」は無理があるという判断です。実は第40章でも部族長の長が会合の終わりにseñalをしていて、ここをその時には「しるしをして」と無理やり入れていたんですが、今回のことで観念して、今日時点でこの部分も「合図をして」に書き直しました。

señal/しるし・合図。複数の意味までピッタリ対応する日本語がなく苦しいのですが、この二つの日本語には同じひとつのスペイン語が遣われているという点、読んでくださる方にはご理解いただけたらと思います。

もうひとつは、錬金術師のテントに入ってすぐ、前日の贅沢テントを思い出す場面で、「cuentos de hadasのような贅沢」としています。これなんだろうと思って辞書で引くと、直訳すると「妖精たちの作り話」と言っていて、これが「おとぎ話」を指す表現だとわかりました。なるほど、英語のfairy taleもスペイン語と同じく「妖精物語」ですもんね。

登場人物に着目した「妖精たちの作り話」に対し、日本語の「おとぎ話」は語り手ないし語りの行為である「伽」に着目しており、造りの全く違う言葉です。すでに「おとぎ話=夢のようなお話」といったような市民権が得られているとは言え、「妖精たちの作り話」が「おとぎ話(お伽噺)」と言い換えられることには、若干の違和感が残るところです。しかしだからと言って「妖精物語」「妖精話」と訳したところで日本の文化的にはやや座りが悪い、というのも日本の昔話や伝説には魔法が出てこないものなので(※)。すると日本版で強いて言えば「妖怪話」か、となるけど「妖怪話のような贅沢」は成立しないのでやはりこれも違う。どうもやはり日本語では、根っこの部分はずいぶん違う言葉であるとはいえ、「おとぎ話」しかないのかな、うーんそうかあ。というところです。

※このあたり、僕が2015年前から聞いているラジオ「小澤俊夫 昔話へのご招待」をいつかしっかり紹介したい!とりあえずここには『日本の昔話と海外の昔話の違い 1 (自然観)』のリンクを置いておきます。

今日の写真は美味しかったワインかな!と思ったのだけど、たくさんの美味しいワインを飲んできたけどろくに写真を撮ってこなかったことがわかりました。なんとか見つけた一枚は2019年1月、年末年始で一時帰国した日本からパナマに戻る前にフランスのパリに数日間滞在したときのもの。2013年から2015年まで留学と就職活動で滞在していた時には日常だったフランスの光景が、いつの間にか過去のものになっていたなあ、今ではこんな普通の軽食さえ写真に残そうと思うなんて、人生は本当にわからないものだ。と思いながら撮った一枚だったと思います。

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