二日目、少年は野営地の近くにあった岩場の上まで行った。番兵たちは彼を通らせた、すでに風になる魔術師についての話を聞いていて、それに近づきたくなかったのだ。さらに、砂漠は大きくて越えることのできない城壁だった。
二日目の午後の残りは砂漠を見て過ごした。彼の心を聞いた。そして砂漠はその怖れを聞いた。
両者は同じ言語を話していた。
~続く~
8分。はちふんて!みじか!
今節は特に難しい表現というのはなかったけれども、取り上げるとしたらこの部分。
Se pasó el resto de la tarde del segundo día mirando al desierto. Escuchó a su corazón. Y el desierto escuchó su miedo.
寛訳:二日目の午後の残りは砂漠を見て過ごした。彼の心を聞いた。そして砂漠はその怖れを聞いた。
第47節あたりから心がものすごく話をするようになってきていて、話の難解さも増していると思います。ここでも彼の心を聞いた、とあります。スペイン語では主語が自明のときは省略されますが、この場面では「(少年は)彼の心を聞いた」という主語が隠れているとみてよいでしょう。その次は「砂漠はその怖れを聞いた」と主語が明言されていますが、次はsu miedo/その怖れ、というのが出てきて、これが誰の怖れかは明確ではありません。スペイン語のsuは「彼の/彼女の/それの/彼らの/彼女らの/それらの」を全て兼ねるので、この場面が少年の怖れなのか少年の心の怖れなのか、はたまたあるいは両者の怖れなのかは含みを持たされたかたちです。
しかし次の一文が大きなヒントになっていると思いました。今。
Ambos hablaban la misma lengua.
寛訳:両者は同じ言語を話していた。
両者、なんです。これが誰と誰を指すかは相変わらず明示されていないのだけど、ここで挙げられているのは両者、つまり二者なのです。少年と、少年の心、そして砂漠の、三者がいるにもかかわらず。なお三者が同じ言語を話しているのであればTodos hablabanと言えばよかった。
この場面で砂漠が除かれるとは考え難い。なのでこの瞬間、少年と少年の心はひとつになっている、と考えるべきなのだと思います。・・・って書くと何言ってんのと言われそうですが、いわゆる心と身体が一致するとか、頭が心に従うとか、そういうのに近い、あるいはそれの進化系かなと。ここまでも少年と少年の心が対話することはあったけれども、ここでその同一視が入ってきているのは、少年がもう一歩次の段階へと進んでいることを表しているような気がします。
短いあいだにも、こんな考えることありました。でも短かったのでまだまだ今日は時間あります。うれしい。今日はお掃除をしっかりしよう。
今日のお写真はノルウェーのStavangerスタバンゲルからツアーで見に行ったフィヨルドです。そう、岩場つながりです。2015年6月、よく晴れてとても気持ちのいい日でした。このときは就活ツアーの真っただ中で、スタバンゲルで働かれている日本人の方を訪ねたのでした。とても良くしていただいて感激した。またも仕事を探しているようなフラフラした自分だけれども、誰かの頑張りの役に立てる時には、しっかりとそれを応援したい。そう思わせてくれるStavangerの思い出です。