錬金術つかい(寛訳51)(“El Alquimista”)

三日目、将軍は主要司令官たちと集った。

「風になる少年を見ようではないか」、将軍は錬金術師に言った。

「見ましょう」、錬金術師は応えた。

少年は前日いた場所まで彼らを連れて行った。それから皆に座るよう頼んだ。

「少しかかります」、少年は言った。

「我々は急いでいない」、将軍は応えた。「我々は砂漠の人間だ。」

~続く~


4分。4分!!カップラーメンは伸びるけど、どん兵衛ならまだおつりがくる早さ!

ちょうど少し風邪気味な気がしているところだったので、良かったです。お昼寝しよう。

スペイン語はひとつ、一瞬手が止まったものを挙げます。

Vamos a ver al muchacho que se transforma en viento

寛訳:風になる少年を見ようではないか

「ではないか」は脚色です、将軍のキャラクターを勝手につけただけ。ここで少し迷ったのは目的語の取り方。何を見るのか。「風になる少年を」見るのか、「少年が風になるのを」見るのか。前者を取りました。後者の場合はこういう書き方になるのかなと。

Vamos a ver al muchacho transformándose en viento.
あるいは
Vamos a ver que el muchacho se transforma en viento.

なお最後の書き方の場合と、本編で採用されている書き方の場合、従属節は接続法にならなくていいのかな?と思いました。将軍が強い疑念を持ち、「さあ見ようではないか、できないだろうけど」、という気持ちの場合、接続法になっても良さそうに考えてしまうのは、間違いかしら?

と思っていろいろ調べてみたけど、確信は持てないけどきっと間違いかな。接続法は疑念や可能性などいろんな場面で出てくるのでここでも遣えそうに思ってしまうけど、全部が全部接続法っていうわけじゃなく、いくつかの型がある。それをちゃんと身につけないと、正しく遣えないなあと改めて思ったのでした。まだまだ勉強不足、未熟です。

今日の写真はバングラデシュの首都ダッカの交通渋滞です。ダッカの人たちならきっと「我々は急いでいるけど待てる。我々はダッカの人間だ」と言うかも?撮影2012年9月。少しは緩和されていると良いのだけど。

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