錬金術つかい(寛訳53)(“El Alquimista”)

シムーンはその日かつて吹いたことのない勢いで吹いた。何世代にもわたってアラブ人たちは風になり、野営軍基地をほとんど破壊して軍隊の最も偉い将軍の力に立ち向かった少年の伝説を互いに語り合った。

シムーンが吹くのを止めたとき、皆は少年がいた場所のほうを見た。もうそこにはいなかった、彼はほとんど砂で埋もれて野営地の反対側を見張っていた番兵のところにいた。

人々は魔術に怯えていた。二人だけが微笑んでいた、錬金術師、なぜなら最高の弟子を見つけたので、そして将軍、なぜならその弟子が神の栄光を理解したので。

翌日、将軍は少年と錬金術師に別れを告げて彼らの望むところまで護衛隊が随行するように命じた。

~続く~


20分。

風が止みました。よかった。どうなることかと思ったでしょう。僕も思いました。あっち側を見張っているうちに砂に埋もれてって気づいたら少年が隣にいた番兵さんはさぞ驚いたことでしょう。

今節のスペイン語はひとつオヤッと思うところがありました。

Sólo dos personas sonreían: el Alquimista, porque había encontrado a su mejor discípulo, y el general, porque el discípulo había entendido la gloria de Dios.

寛訳:二人だけが微笑んでいた、錬金術師、なぜなら最高の弟子を見つけたので、そして将軍、なぜならその弟子が神の栄光を理解したので。

この将軍の方の理由があまり理解できず。ここでいうel discípulo/その弟子というのは、ひょっとして将軍が弟子だったりするの?いやでも、三日前に殺意の目を持って引っ立てて錬金術師を咎めたててるし(第49節)。あれが全て茶番だったとしたら二人とも訳者になったほうがいい!そうでなければ、「その弟子」は前の錬金術師の「最高の弟子」をうけて同じ表現を遣ったと、素直に読むことになるのかな、と思いました。

ちなみにla gloria de Dios/神の栄光、これがまたしっくりこないのです。いろいろと検索するに、神の素晴らしさ、神の霊の美しさ、神はすごいと感動するようなこと、単なる奇跡ではない、などといったものが出てきます。最後のほうのがわかりやすいかな。単なる奇跡ではない、神による奇跡以上のもの。これを弟子・少年が理解したというのは、第52節の最後の部分のことを言っているのかなと思いました。(ただし前節ではmilagros/奇跡と表現してるけど。)

今日の写真はヨルダン南部のワディラム砂漠。第39節のラクダさんに会う前日です。一緒に行った会社の先輩方に煽っていただき、砂漠を爆走している様子を撮っていただきました。2011年3月。ちなみに今更ですが、砂漠の岩場っていうのはこういうやつのことなんでしょうね。左手に写ってるのなんて風になるのに良さそうです。

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