錬金術つかい(寛訳9)(“El Alquimista”)

少年はがっかりしてもう二度と夢なんか信じないと心に決めながら外に出た。いろんなことをしなくてはいけないのを思い出した。食料品店に行って適当な食べ物を買い、本をもっと分厚いものに交換して買った新しいワインの味わおうと広場のベンチに腰掛けた。それは暑い日でワインが、計り知れない神秘のひとつであるが、彼の身体を少し冷ますことができるのだった。羊たちは町の入り口、彼の新しい友人の牧舎にいた。そのあたりの地区ではたくさんの人を知っていたので旅するのが好きだった。終いには必ず新しい友達になりそして来る日も来る日も一緒にいる必要はないのだ。いつも同じ人たちと会うときは(神学校で起きたことだが)いずれ私たちの人生の一部になり始めさせてしまう。そして私たちの人生の一部なので、彼らは私たちの人生に手を加えようとし始める。そしてもし私たちが彼らの望むようでなければ、腹を立てる。なぜならば全ての人々は私たちが私たちの人生をどのように生きねばならないかを正確に知っているのだから。

そして彼らは彼ら自身の人生をどのように生きねばならないかについては決して何の考えもない。夢占いの女性のように、それを現実に変換することができないのだ。

日がもう少し低くなるのを待ってから羊たちとともに野原に向けて道を続けようと決めた。あと三日もすれば商人の娘と一緒になれる。

タリファの司祭からもらった本を読み始めた。大きな本で、最初のページから葬式について書いてあった。さらに、人物の名前はあまりにも難解だった。もしいつか本を書くことがあれば、人物を続けて登場させて、読み手が名前を覚えるのにこんなに苦労しなくてすむようにしようと思った。

読書に少し集中でき始めたとき――そしてそれは良かった、というのも雪の中での葬式について書いてあり、彼の気分をこの途方もない日差しの下にあって冷たさを感じるものにしてくれたから――老人が彼の隣に座って会話をしようとし始めた。

「彼らは何をしているのかな?」広場にいる人々を指しながら老人は尋ねた。

「働いているのでしょう」、少年はそっけなく応え、読書に集中しているふりに戻った。実のところ商人の娘の前で羊の毛刈りをして、いかに面白いことをできるかを彼女に見せてやろうと考えていた。この場面のことは既に何回も想像していた。その想像では毎回、羊は後ろから前へと毛刈りをしてやらないといけないんだと彼が説明し始めると女の子は目を丸くしていた。また羊の毛刈りをしている間に語って聞かせる良い物語が何かなかったか思いだそうとしていた。多くのことは本で読んでいたが、あたかも自分で経験したことのように語って聞かせよう。彼女はその違いに気づくことはない、なぜなら本を読むことができないのだから。

老人は、しかし、食い下がった。疲れていて喉が渇いていると説明し、ワインを一口頼んだ。少年はボトルを差し出した。おそらくこれで黙るだろう。

しかし老人はどうにかして会話したがった。何の本を読んでいるのか尋ねた。彼は失礼をしてベンチを替えようかと思ったが、お年寄りは敬うようにと父が教えていた。そこで二つの理由で本を老人に差し出した。一つ目は題名を発音できなかったこと、二つ目は、もし老人が読むことができなければ、恥ずかしくなって彼のほうでベンチを替えるだろうことだった。

「ううむ・・・」あたかも奇妙な物体かのようにその本をあちこち調べながら、老人は言った。「これは大した本だけど、ずいぶん退屈だね。」

少年は驚いてしまった。老人もまた読むことができ、さらにはその本を既に読んでいたのだ。そしてもしこれが彼の言った通り退屈なら、まだ他のと交換する時間があった。

「この本にはほとんど全ての本に書いてあるようなことが書いてある」、老人は続けた、「人々が自らの運命を選ぶことができないことについてね。そしていずれ皆にこの世の最大の嘘を信じさせてしまう。」

 

~続く~


でたーーーけったいな老人!!こういう老人がいきなり隣に座るのってドキッとするよね。しかし踏みとどまったサンチアゴ少年は大したもんだ。父親の教育が行き届いておる。

しかし本を読むふりをして涼みながら女の子の前でのパフォーマンスを考えているのはけしからん。「雪の中の葬式だってしたことあるんだよ」とか言ってやれ。

スペイン語的には、今回はそんなに難しいところはなかったかな。ただ1時間32分かかってるけど。それに大丈夫と思っているときほど危ないと言うから、何か気づかぬ誤りがあるかもしれない。

印象的だったのは、terminar haciendo que + subjunctive の構造が二度出てきたこと。あー何かあるなーと感じたのだけど、そのダブりをうまく訳に反映できなかったなあ。難しい。

… terminamos haciendo que pasen a formar parte de nuestras vidas.
(寛訳:いずれ私たちの人生の一部になり始めさせてしまう。)
… termina haciendo que todo el mundo crea la mayor mentira del mundo.
(寛訳:いずれ皆にこの世の最大の嘘を信じさせてしまう。)

今回のお写真は、Plaza/広場が出てきたので、ペルーの首都リマの旧市街地ど真ん中にあるアルマス広場。教会と行政府に面して、いかにもスペイン様式らしい広場というので最初に思い浮かんだ(スペイン本土はほとんど行ったことないから・・・)。2017年5月14日撮影。

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