錬金術つかい(寛訳19)(“El Alquimista”)

扉には案内札がありここでは多様な言語が話せるとあった。少年は陳列台の後ろに男が現れるのを見た。

「これらの水差しを磨きます、もしあなたさえよければ」、男の子は言った。「今のこのような感じでは、誰も買いたくならないでしょう。」

男は何も言わずに彼を見た。

「代わりに、あなたは私に一皿分の食事代を払ってください。」

男は沈黙を続け、男の子は決断をしなくてはならないと感じた。かばんの中には上着があって、それは砂漠においてもう必要としないものだった。それを取り出して水差しを磨き始めた。三十分間飾り棚の全ての水差しを磨いた。この間に二人の客が入ってきて主人からいくつかの商品を買っていった。

全てを磨き終わったとき、男に一皿分の食事代を要求した。

「食べに行こう」、ガラス商人は言った。

扉の案内札をしまって坂道の上に位置するちっぽけなバーまで行った。そこにある唯一のテーブルに座るとすぐ、ガラス商人は微笑んだ。

「何も磨く必要なかったんだよ」、言った。「コーランの教えは腹を空かせたものには食わせてやることを義務づけているからね。」

「ではどうしてああやらせておいたのですか?」少年は尋ねた。

「だってガラスが汚れていたからね。それに君も僕も悪い考えから頭をすっきりさせなくちゃいけなかった。」

食べ終わったとき、商人は少年に話しかけた。

「僕の店で働いてもらえないか。君が水差しを磨いているときに二人の客が入ってきた、これは良いしるしなんだ。」

『みんなしるしについてよく話すな』、羊飼いは思った、『でも自分が言っていることに気づかないんだ。僕が何年も前から羊たちと言葉のない言語で話していたことに気づかなかったのと同じだ。』

「僕のために働きたいかい?」商人はしきりに言った。

「今日の残りの時間は働けます」、少年は応えた。「夜明けまで店の全てのガラスを磨きます。その代わり、明日エジプトにいるためのお金が要ります。」

男はまた笑った。

「一年中僕のガラスを磨いたって、そのそれぞれの売り上げから良い歩合を稼いだって、エジプトへ行くにはまだ借金をしないといけないだろうさ。タンジェとピラミッドの間には何千キロという砂漠があるんだよ。」

町が眠り込んでしまったと思えるような長い沈黙の間があった。もうそこには市場、商人たちの話し合い、塔に上って歌っていた男たち、石のはめ込まれた柄のある美しい剣は存在しなかった。もう希望と冒険、年老いた王と私伝説、宝とピラミッドは終わっていた。この世の全てが動かずじっとしているかのようだった、というのも少年の魂が沈黙していたからである。苦痛、苦悩、そして失望すらもなかった。バーの小さな扉を通した空虚なまなざしだけ、そしてその瞬間に全てが永遠に終わってしまい、死んでしまいたいというものすごい願望だけだった。

商人は少年を見て、驚いた。まるでその朝に彼に見た全ての喜びが突然に消えてしまったかのようだった。

「君の地へ戻れるようお金をあげてもいいよ、わが子よ」、彼に言った。

少年は沈黙を続けた。それから立ち上がり、服を整えてかばんを取った。

「あなたと働きます」、言った。

それから再びの長い沈黙の後で、付け足した。

「羊を何匹か買うお金が要るんです。」

~続く~


1時間29分。

やー。つらい。モロッコとエジプトは遠いぜ、そんな翌日に到着してるなんて全く無理だぜ、と読んでまず思うわけだけど、少年はそれは知らなかったんだね。つらい。

実のところ、そういう場面って結構あるよなと思う。知らないままに思っていたことがあり、それが打ち砕かれる場面。典型例として思い浮かべるのは、大学での論文作成、新しい研究をしなくちゃいけない、するぞ、しているぞ、と思っていたら、突如として既往の研究が続々と出てくる時とか。そのつど絶望的だったなと思う。

成長していろんなことを知っていく過程で、多くの夢見たことはどうやら難しそうだと感じ取っていく。さらに無知の知ではないけど、「よくは知らないけどどうせ」という否定的な思考まで入り込んでしまう。そうして望むことが小さく少なくなっていく。

完全に沈んだサンチアゴ少年。これから彼がどう進んでいくのか、何が彼をどこへ進ませるのか。期待です。(実際この後の展開をあまり覚えてないのです。笑)

ちなみに大学の時は、それでも学位を取る必要があった。その願いが宇宙の魂に生まれたからかどうかはわからんが、学位を取りたいと強く願った。なので諦めずにがんばった。状況判断を改め、方向を修正して、進み直す。また何かにぶち当たる、修正して、進む。あれはかなり良い訓練だったと思う。ひたすら磨き上げていく感じ。誠実であること、誤魔化さないこと、諦めないこと。そして全宇宙が取り計らってくれたかはわからないけど、願いはかなった。良い記憶である。(なお学士の時には全教授が取り計らってくれた。感謝しかありません。)

さてスペイン語ですが、取り立てて気になる表現はなく、ただそういえば、日本語ってこういうのないんだよな、と前々から思っていた表現を取り上げます。

Durante media hora limpió todos los jarros de la vitrina.

寛訳:三十分間飾り棚の全ての水差しを磨いた。

このmedia hora、三十分と訳しましたが、より直接的に訳すと半時間なのですね。いちおうそういう日本語もあるみたいだけど不自然です。英語だとhalf an hour、フランス語だとune demi-heureでいずれも半時間な表現がごく自然に遣われているけど、日本語ではそうでないというのが面白いと思います。

同じくcuartoという表現、これは15分。より明確にするならun cuarto de horaと言うけどcuartoだけでよく遣われる。las diez y cuarto/10時15分とかlas diez menos cuarto/10時15分前(9時45分)とか。cuarto自体は直接的には4分の1という意味なので、tres cuartosで4分の3というのもよく遣われる表現。僕はお肉の焼き加減をよくtres cuartosでお願いしています。medio/ミディアムとbien cocido/ウェルダンのあいだの焼き加減ということです。あ、お肉食べたい。

ところで!これにて第一部の寛訳が完了です!うーん思ったより順調。このお話がまず好きだから読んでいて楽しいし、スペイン語と日本語の勉強になるのでやりがいがある。そして何より読んでくれる人たちがいることに感激して支えられてやっています。これから第二部に入りますのが、引き続きどうぞよろしくお願いします。

今日の写真は第一部の終了を祝して、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス、全然小さいバーじゃなくて大きいステーキハウスで上司と食らいついた、tres cuartosに焼いてもらった肉です。2017年7月。お肉食べたい!お肉ー!!!

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