錬金術つかい(寛訳21)(“El Alquimista”)

二か月以上が過ぎて重ね棚はガラスの店に多くの客を呼び込んだ。少年はあと六か月働けばもうスペインに戻り、六十匹の羊にさらにもう六十匹まで買うことができると計算した。一年もしないで群れを倍にしてアラブ人たちと商売ができる、というのもすでにその異国の言語を話せるようになっていたのである。市場でのあの朝からウリムとトゥミムを再び用いることはなかった、なぜならエジプトは彼にとってあまりに遠い夢になってしまったのだ、商人にとってメッカの町がそうであったように。しかしながら、少年は今や仕事に満足していて勝者としてタリファに上陸するときのことをいつも考えていた。

『欲することを知るよういつも覚えておきなさい』、年老いた王は彼に言っていた。少年はそれをわかっていてそれを成し遂げるために働いていた。ひょっとすると彼の宝とはこの異国の地に到着し、泥棒にあってただの一セントも費やすことなく群れの数を倍にするということだったのかもしれない。

彼は自分自身のことを誇りに思っていた。大事なことを学んでいた、ガラスの商売、言葉のない言語そしてしるしなど。ある午後丘の上にひとりの男を見た、これだけ上ってきた後で何かを飲む適当な場所が見つけられないといって不満を言っていた。少年はすでにしるしの言語を知っており話をしようと老人を呼んだ。

「丘を上った人たちにお茶を売りましょう」、彼に言った。

「この辺にはお茶を売ってるのはたくさんあるよ」、商人は応えた。

「ガラスの水差しでお茶を売るのはどうでしょう。そうすれば人々はお茶が気に入ってまたガラスも買いたくなるでしょう。人々をより魅きつけるのは美ですから。」

商人はしばらく少年を見つめて何も返事をしなかった。しかしある午後、祈りを終えて店を閉まった後で、彼と共に歩道の縁に座って彼に水タバコを吸わないかと勧めた、アラブ人たちが使う妙なパイプだった。

「何を探し求めているんだい?」年老いたガラス商人は尋ねた。

「もう言いました。また羊たちを買わなくてはならず、そのためにお金が要ります。」

老人は新しい炭火を水タバコにいくらか入れ、それに広い吸い心地を与えた。

「この店を持って三十年になる。良いガラスも悪いガラスもその作用の全ての細かいことまで知っている。その大きさとその動きに慣れている。もし君がガラスにお茶を入れたら、店は成長しそして私は生き方を変えなくてはならなくなる。」

「それでそれが良くないと?」

「私は私の人生に慣れている。君が着く前、同じ場所でだめになってしまったとずっと思っていた、私の友人たちが変え、破産するか成長するかしているあいだにね。これは私にとても大きな悲しみを抱かせていた。今や私はその通りではなかったことがわかる。店は私が持ちたいと常々思っていたちょうどの大きさだ。変えたくないんだ、どう変えたものかわからないからね。もう自分自身にとても慣れているんだ。」

少年は何を言うべきかわからなかった。老人はそれで続けた。

「君は私にとって天恵だった。そして今私はひとつのことを理解している。受け入れられなかった全ての天恵は天罰に姿を変える。私は人生においてこれ以上何も望んでいない。そして君は私にかつて知ることのなかった豊かさと先行きを見るようにとせっついている。今ではそれらを知り、私のとてつもない可能性を知って、前に感じていたよりもさらに悪く感じそうなんだ。なぜならなんでも手にすることができるとわかっていて、それを望んでいないから。」

『ポップコーンの売人に何も言わないのはましだった』、少年は思った。

しばらく水タバコを吸い続けているうちに太陽は姿を隠した。アラブ語で会話をしていて、少年はその言語を話せるようになったことにとても満足していた。羊たちが世界について知らなくてはならない全てのことを教えてくれると思っていた時期があった。しかし羊たちはアラブ語を教えることはできなかった。

『羊たちが教えられないことが世界には他にもあるに違いない』、男の子は黙っている商人を見ながら思った。『彼らはただ水と食べ物を探し求めることを受け持っているだけだから。思うに彼らが教えている者たちではないんだ。僕が学ぶ者なんだ。』

「マクトゥブ」、商人は、ようやく、言った。

「それは何です?」

「これを理解するにはアラブ人に生まれなくちゃいけないよ」、彼は応えた。「だが訳するならだいたい『記されている』といったところだ。」

そして、水タバコの炭火を消しながら、少年に水差しで茶を売り始めてよいといった。時として人生の川をせき止めることはできない。

~続く~


2時間1分。

ガラス商人の深い沈黙が伝わってくるような節でした。三十年失敗してきて、ある日現れた少年が次々と成功させていく。それが自分を成功させてくれるのだとしても、なかなか適応できるものではないよな。「変えたくない」「人生においてこれ以上何も望んでいない」と言ってしまうのはあまりにも悲しいが。

それでも最後に「マクトゥブ」と言って少年に許可をあたえるところ、この老人の運命論的な考え方を示していて、流れを受け入れるところが興味深い。自分がこの老人だったらどうだろう。

・・・三十年ひとつの場所にいるどころじゃないんだった自分・・・。

ところでものの三か月かそこらでアラブ語をすっかり習得したサンチアゴ少年、ほんと、ただ者じゃないと思ってたけど、ただ者じゃなかったです。少年とか呼んでほんとすみません。

今回のスペイン語はかなり初期に学ぶ動詞gustarのかわった遣い方。

Así las personas gustarán del té y también querrán comprar los cristales.

寛訳:そうすれば人々はお茶が気に入ってまたガラスも買いたくなるでしょう。

よくあるgustarの遣い方はa mí me gusta, a ti te gusta, a él/elle le gusta el té、私は君は彼は彼女は茶が好きだ。構造上の主語はel té/茶で、直接的な訳としては「茶は僕を気に入らせる」のような感じ。me interesa/私の興味をそそる→興味がある、te alegra/君を喜ばせる→君は嬉しいとかと同じ。あまり日本語にはない気がするけど、フランス語でも似たような表現法は多い。有名なs’il vous plaît/しるぶぷれ・よろしくも、直接的には「もしそれがあなたの気に沿うならば」という意味。

で、そうかgustarはそういう子なんだな、と思っていたら、ここで突然の変異。las personas gustarán del téとなった。明らかに主語が人々。しかもまた動詞の後ろがde。

何事かと思って調べてみると、gustarはそのままでは「~の気に入る」という意味の用途が多いのだけど(上記のやつ)、gustar deで「好きである」という意味になるらしい。つまりよくあるI like sushi! と同じで、Yo gusto del sushi! と言ってもよいようなのだ。初めて知ったかもしれない。

それでも自然なスペイン語では圧倒的にme gusta el sushiと言うと思う。なぜだろう、とか、日本語でも似たような現象が起きていたりしないか、とか、いろいろ考えたいけど、ちょっと時間がないのでこの辺にしておく。

あと今日の節でオッと思った単語がもう一つあった。

El viejo colocó algunas brasas nuevas en el narguile, al que dio una extensa aspiración.

寛訳:老人は新しい炭火を水タバコにいくらか入れ、それに広い吸い心地を与えた。

このaspiraciónという単語は「吸い込むこと」というのが第一義だけど、あこがれ、熱望、願望という意味もあるんです。近い言葉でinspiración、これはインスピレーション、霊感、示唆みたいな意味もあるけど、これまた「息を吸うこと」という意味も備えている。呼吸と霊性や激情が隣り合わせになっているのが面白い。ここで水タバコに広い吸い心地が与えられたのも、実は広い情熱という意味も含まれているのかな、と思いました。

なお息を吐くほうはespiraciónですが、これにも魂を吹き込むという意味が含まれているようです。辞書で引くとすぐ近くにespíritu/精神・心・精霊という語も載っているので、何かこれにもかかわっているのかもしれないと思いました。

最近この後記?小話?の部分が長くなる傾向にあります。もう少し短くしたいのだけど、興味が止まらなくて、、、すみません。飽きますかね。。

写真は静岡県の茶畑です。東海道五十三次の金谷宿から日坂宿に向かって峠を上がりきった後に広がっていました。2013年2月。東海道五十三次の記録もこっちに復刻させたいなあ。。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *