錬金術つかい(寛訳30)(“El Alquimista”)

変わった本だった。水銀、塩、龍や王について書いてあったが、彼は何も理解することができなかった。しかしながら、全ての本に繰り返し出てくるひとつの考えがあった、すべてのものはたったひとつのものの表れであるという。

その本のうち一冊に彼は錬金術についての最も重要な文章がたった数行しか載っておらず、一枚のエメラルドに書かれているのを見出した。

「エメラルドの板なんだよ」、イギリス人は言った、少年に何か教えていることを誇らしげにしながら。

「それで、どうしてこんなに本を?」

「これらの行を理解するためさ」、イギリス人は応えた、自身の返答に全く納得しているわけではないままに。

より強く少年の興味を引いた本は有名な錬金術師たちの物語を記していた。その人生のすべてを研究室で金属を純化することに捧げている人々だった。もし金属が火の中に何年も何年もずっと保たれると、しまいにはその個々の特性から解き放たれてただ世界の魂だけが残るのだと信じていた。この唯一の物は錬金術師たちが地表上のいかなることでも理解するのを可能にした、なぜならそれは物同士が通じ合うのに通す言語だったからである。この発見物のことを大いなる業と呼び、液体部分と固体部分で構成されているのだった。

「人間としるしを観察するのではこの言語を見つけるのに十分じゃないのかな?」男の子は尋ねた。

「すべてを単純化する癖があるよね」、苛立って、イギリス人は応えた。「錬金術はまじめな仕事なんだ。一歩ずつが師の教えたまさしくその通りにたどられることが求められるんだ。」

少年は大いなる業の液体部分が長寿の霊薬と呼ばれており、すべての病を治癒し、さらに錬金術師が歳をとるのを防ぐということを発見した。そして固体部分は賢者の石と呼ばれた。

「賢者の石を見つけるのは易しくないんだ」、イギリス人は言った。「錬金術師たちは金属を純化している火を見つめて何年も研究室で過ごしたんだ。そんなにも火を見ていて、少しずつ彼らの頭はこの世の全ての虚しさを失くしていった。そして、ある良き日、彼らは金属の純化がついに彼ら自身を純化して終ったということを見出したんだ。」

少年はガラス商人のことを思い出した。彼は水差しを磨くのはお互いを悪い考えから解き放つのにもいい考えだと言っていた。ますます錬金術というのは日常の暮らしの中で学ぶことができると確信していた。

「それに」、イギリス人は言った、「賢者の石は魅力的な特性を持っているんだ、そのひとかけらで大量の金属を金に変えることができるんだよ。」

この言葉から、少年は錬金術に強い興味を抱いた。少しの辛抱で、全てを金に変えることができる、と思っていた。それを手にした様々な人たちの人生を読んだ、エルヴェティウス、エリアス、フルカネリ、ゲーベル。魅力的な物語だった、皆が最後までその私伝説を生きていた。旅をし、賢者たちに会い、懐疑的な人々の前で奇跡を起こし、賢者の石と長寿の霊薬を持っていた。

しかし大いなる業を得る方法を学びたいと思うと、まったく途方に暮れてしまうのだった。ただ絵、記号による指示、難解な文章ばかりだった。

~続く~


1時間35分。

エルヴェティウスエリアスフルカネリゲーベルというのは、検索してみると歴史上の錬金術師たちの名前を挙げているようでした。文中にフルネームが記されているわけではないので著者がこの人たちを意図したのかどうかはわからないけど、いちおう見つかった人たちのリンクをつけておきます。

さて今節では錬金術についての具体的な記述が出てきました。これ、聞き慣れない「錬金術」という言葉に少しでも親しむためにヒントになる箇所かなと思います。

…creían que si un metal era mantenido permanentemente en el fuego durante muchos y muchos años, terminaría liberándose de todas sus propiedades individuales y sólo restaría el Alma del Mundo. Esta Cosa Única permitía que los alquimistas entendiesen cualquier cosa sobre la faz de la Tierra, porque ella era el lenguaje a través del cual las cosas se comunicaban. A este descubrimiento le llamaban la Gran Obra, que estaba compuesta por una parte líquida y una parte sólida.

寛訳:もし金属が火の中に何年も何年もずっと保たれると、しまいにはその個々の特性から解き放たれてただ世界の魂だけが残るのだと信じていた。この唯一の物(寛注:世界の魂)は錬金術師たちが地表上のいかなることでも理解するのを可能にした、なぜならそれ(寛注:唯一の物)は物同士が通じ合うのに通す言語だったからである。この発見物のことを大いなる業と呼び、液体部分と固体部分で構成されているのだった。

— Miraban tanto al fuego, que poco a poco sus cabezas iban perdiendo todas las vanidades del mundo. Entonces, un buen día, descubrían que la purificación de los metales había terminado por purificarlos a ellos mismos.

寛訳:「そんなにも火を見ていて、少しずつ彼らの頭はこの世の全ての虚しさを失くしていった。そして、ある良き日、彼らは金属の純化がついに彼ら自身を純化して終ったということを見出したんだ。」

ここまでにも、老王、メルキセデクさんでしたっけ、あの人の時くらいから出てきていた「ただひとつ」のもの・こと。これは究極の純化を経て残ったもの。究極的に純化していくとあらゆるものの特性が剥がれて全てに共通するただひとつのものCosa Únicaだけが残る。それが世界の魂Alma del Mundoであり、これを通して全ては通じ合うことができる。そして錬金術師とは、自らを究極に純化し、世界の魂を理解した者であり、それゆえに全てと通じ合うことができる人のこと。というふうに理解しました。

さらに、究極の純化を経て発見された世界の魂のことを、大いなる業Gran Obraと呼ぶ。ちょっとこの部分がわかるようなわからぬような。つまり世界の魂と大いなる業は同じなのか?というとそれはたぶん違って、たぶんだけども、世界の魂は宿っているものであり、その世界の魂を何らかの形をともなって見出したものが大いなる業なのだと思います。液体部分と固体部分があったり、Obra/業(わざ)・作品という語が遣われていることからもそう思う。思い浮かべるのは盆栽。まったく聞きかじりだけども、盆栽というものは余計なところを取り除いて植物の本来の姿を見出していくもので、その作品は宇宙をも表すのだとか。そうだとすると、植物がもつ世界・宇宙の魂を形にしたものが盆栽であり大いなる業である、ということかなと、思うのでした。

このところ後書きがあまりに長くなる傾向があると思いつつ、スペイン語小話もひとつだけ。

–Tienes la manía de simplificarlo todo

寛訳:「すべてを単純化する癖があるよね」

tener la maníaで、思い込んでいる、熱中している、奇癖を持っているといった意味だそうです。マニアって日本語で言うとそのまま人のことを示すけど、スペイン語では「マニアを持っている」という表現なのね。調べてみると英語でも同じでhave a maniaという表現はあるけど人そのものを指す用法はないみたいです。知らなかった。

今日の写真はいろいろ余計なものを削ぎ落としたうえでパナマの新居に入居した時のものです。でももとから赤いスーツケースは本とか尺八とかの贅沢品、さらにその後まちがいなく持ち物は増えてきてしまっているわけで、やはり究極の純化というのは難しい。2016年5月。

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