日が昇り始めたとき少年は目を開けた。彼の前には、夜の間は小さな星たちがあったが、ヤシの木々が果てしなく並んで広がり、砂漠の地平線をすっかり覆っていた。
「やったぞ!」イギリス人は言った、同じく起き上がったところだった。
少年は、しかし、黙ったままだった。砂漠の沈黙を学んでいたし彼の前のヤシの木々を見て満足していた。まだピラミッドに着くにはたくさん歩かなくてはならなかったし、いずれの日かその朝はただの思い出になるだろう。だが今は現在という瞬間で、ラクダ引きが述べたところのお祭りでありそして彼は自らの過去の教訓と未来の夢を持ってその瞬間を生きようとしていた。いつの日か、その何千ものヤシの木々の光景はただの思い出になるだろう。だが彼にとってこの瞬間は日影、水そして戦争からの避難所を意味していた。ラクダの鳴き声が危険に変わることができたように、ヤシの並木は奇跡を意味することができた。『世界はたくさんの言語を話すな』、少年は思った。
~続く~
20分。
いやぁついにオアシス到着、おめでとうございます!なかなかね、着かなかったんでお疲れになったかと思いますけども。これで一安心ですね!
相変わらずイギリス人はサンチアゴ少年との気の合わなさをことごとく発揮していてもはや見事という感じ。ただまあ、どんなストーリーにもちょっと頓珍漢な脇役みたいのがいて場を盛り上げてくれるもので、これも定めと思おう。いいぞイギリス人、もっとやれ!
スペイン語小話は、訳すときに少し唸った箇所を。
Frente a él, (…) se extendía una fila interminable de palmeras, cubriendo todo el horizonte del desierto.
寛訳:彼の前には、(…)ヤシの木々が果てしなく並んで広がり、砂漠の地平線をすっかり覆っていた。
砂漠でオアシスを見つけたことがないのだけど、ここの描写はなんだかわかるような木がして。西語をもっと直接的に訳すと「ヤシの木々の果てしない列が広がり」、つまりなんていうか、ぴーーーて横一列に、たぶん高さもだいたいそろってて、奥行き不明なんだけど地平線に沿って無限に広がってるっていう、そういう光景な感じがするのよね。そこ「列」って表現するんだあって。思いました。寛訳では本当なら言葉の品詞は変えたくないところなのだけど、良い言葉が見つからず品詞変換、果てしない列が(形容詞+名詞)→果てしなく並んで(副詞+動詞)、に手を染めてしまったのでした。
今日の写真はバッと目の前にひろがった連なりが印象的だった、中国の北京の郊外も郊外、万里の長城です。ものすごい傾斜をゼーハー言いながら登ってみると、うおー本当に長城!え、これ本当に城?壁?どこまで連なってるの?ってなりました。霧が出ちゃってあまり見晴らし良くない写真ですけど。。。2016年1月、寒かった!!