錬金術つかい(寛訳39)(“El Alquimista”)

ラクダ引きはナツメヤシの根もとに座って、同じく日没を見つめていた。少年が砂丘のひとつの後ろから出てくるのを見た。

「軍隊が近づいている」、言った。「光景を見たんだ。」

「砂漠は人の心を光景で満たす」、ラクダ引きは応えた。

しかし少年は彼にハイタカの話をした、唐突に世界の魂の中へと没入していた時にその飛翔を見ていたのだと。

ラクダ引きは黙り込んでいた、少年が言うことを理解していた。地球上のいかなるものでも全てのものごとの物語を語れることを知っていた。ある本のどんなページを開いても、あるいは人々の手を、トランプのカードを、鳥たちの飛翔を、どんなものを見ようと、いかなる人でもまさしく経験しているある状況との意味の繋がりを見出すだろう。しかし実際には、ものごとが何かを見せているというのではなかった、それは人々が、それを見て、世界の魂への入り込みかたを見つけるのだろう。

砂漠には悠々と世界の魂に入り込めることで生計を立てている人々が多くいた。彼らは占い師と呼ばれ、女たちや老人たちに恐れられていた。戦士たちは彼らに滅多に相談しなかった、なぜならいつ死ぬのか知りながら戦闘に入っていくことはできなかったからだ。戦士たちは戦いの味わいと知らぬことへの感情をより好んだ。未来はアラーにより記されており、何が記されているとしてもそれはいつでもその人の善のためである。したがって戦士たちはただ現在だけを生きていた、現在は驚きに満ちていて多くのことに用心しなくてはならなかったからだ、敵の剣はどこか、自分の馬はどこか、生き残るために放たなければならない次の一撃は何か。

ラクダ引きは戦士ではなく、すでに何人かの占い師に相談をしていた。多くは的を射たことを言い、他は、誤ったことだった。そのうちに彼らのひとり、最も年老いた人(そして最も恐れられていた人)がなぜそんなに未来を知ることに興味があるのかと彼に尋ねた。

「ものごとを成せるようにです」、ラクダ引きは応えた。「そして起こってほしくないことを変えるためです。」

「それなら君の未来があるままになるだろう」、占い師は彼に応えた。

「おそらくそれでしたら来たることに備えるために未来を知りたいということです。」

「良いことであれば、それが来たときには良い驚きになる」、占い師は言った。「そして悪ければ、それが起こる前に大いに苦しむことになろう。」

「未来を知りたいというのも私は男だからです」、ラクダ引きは占い師に言った。「そして男たちはその未来に応じて生きるのです。」

占い師はしばらくのあいだ沈黙を守った。彼は長棒の技の達人であり、長棒を地面に投げて落ち方によって解釈を与えるのだった。その日彼は長棒を投げなかった。それをスカーフに包んでポケットの中に再びしまった。

「私は人々の未来を占って生計を立てている」、言った。「長棒の科学を知っていて全てが記されているこの空間へ入り込むためにそれを如何に用いるかを知っている。そこでは過去を読み、すでに忘れられたものを発見し、現在のしるしを理解することができる。」

≫人々が私に相談に来るとき、私は未来は読んでいない、私は未来を占っているんだ。なぜなら未来は神に属しており、そして神だけが並外れた状況においてそれを明らかにするのだ。そして私はどのように未来を占うのか?現在のしるしによってだ。現在のなかにこそ秘密がある、もし現在に注意を向ければ、それを良くすることができる。そしてもし現在を良くすれば、それから起こることもまた良くなる。未来を忘れて則の教えと神がその子たちを慈しんでいるという信頼の中において君の人生の一日一日を生きなさい。一日一日はその中に永遠をもたらしている。

ラクダ引きは神が未来を見ることを許す状況が何かを知りたがった。

「神自身がそれを示すときだ。そして神はごく稀に未来を示す、ただひとつの理由によって。その時は変えられるべく記された未来だからだ。」

神は少年に未来を見せた、ラクダ引きは思った、なぜならば神は少年に自らの手段になってほしかったのだ。

「部族長と話をしに行け」、彼に言った。「迫りくる戦士たちについて彼らに語るんだ。」

「僕のことを笑うよ。」

「彼らは砂漠の男たちだ、そして砂漠の男たちはしるしに慣れている。」

「だったらもうこのことを知っているはずさ。」

「彼らはそのことなど気にしない。彼らはもしアラーが彼らに語りたいことを知らなくてはならない時には、誰かを通して知るだろうと知っている。これまでに何度もあった。しかし今日、その者は君だ。」

少年はファティマを思った。そして部族長に会いに行くことを決意した。

~続く~


1時間57分。

今回はずいぶんとラクダ引きさんがメインな節でした。いいですね。かなり思慮深いラクダ引きさん。羊飼いもラクダ引きも、本当にいい。

話としてはほとんど前に進んでいないけれども、なんとなく息をつかせぬ緊張感が含まれている感じがしますが私だけ?「敵の剣はどこか、自分の馬はどこか、生き残るために放たなければならない次の一撃は何か」とか、「迫りくる戦士たちについて彼らに語るんだ」とかが、ちょこちょこっとだけど緊迫感を煽るなあと思って興奮しています。うおおおステーキ食べてぇーーー!!(行き場を失った興奮)

いや、単純に、書き方が素敵だなあと感心しています。そりゃまあ世界のベストセラーなわけだから当然なのかもしれないけどさ。いいなあって。

さてスペイン語小話。今日は必至でにらめっこしなくちゃいけなかった箇所がいくつかありました。

あ、でもひとつ目はにらめっこではなかったけど、ホウそういう表現になるかいなるほど、と思ったやつ。もう節の冒頭、少年が現れるところ。

Vio salir al muchacho desde detrás de una de las dunas.

寛訳:少年が砂丘のひとつの後ろから出てくるのを見た。

ver + 不定詞 + 直接目的語、という形ね。たぶんver + 直接目的語 + 現在分詞っていうのが一番よく見る形で、この場合だとVio al muchacho saliendoっていう書き方になるのだけど、ホウそういう書き方もあるかねと思ったのでした。
なお西和辞書には「ver + 直接目的語 + 不定詞・現在分詞」とあるので、不定詞っていうのは良いとしても、語順まで変わるっていうのはあまり一般的ではないのかもしれません。

次、ラクダ引き先輩がサンチアゴ少年の話を聞いてフムフムってなってるあたり。

Si abrirse un libro en cualquier página, o mirase las manos de las personas, o cartas de baraja, o vuelo de pájaros, o fuere lo que fuere, cualquier persona encontraría alguna conexión de sentido con alguna situación que estaba viviendo.

寛訳:ある本のどんなページを開いても、あるいは人々の手を、トランプのカードを、鳥たちの飛翔を、どんなものを見ようと、いかなる人でもまさしく経験しているある状況との意味の繋がりを見出すだろう。

まず日本語的にわかりにくいかもしれないので少し解説すると、どんな人でも何かを見て、身を置いている状況との関連性を見出すことができる、という話のようです。伝わるかな。まさしく占いの世界かもね。

で、ここでスペイン語で注目したいのはfuere lo que fuereという部分。なんじゃいこれ感がすごかったんですが、serの接続法過去fueraで、現在形だったらばsea lo que sea/何であったとしても、と書かれるものが過去形になっているということが、わかりました。落ち着いて読み直すの大事。

最後、超大事そうなのにわかんないぞ、むぅっ!?と一瞬フリーズした箇所。占い師の締めの一言。

Y Dios muestra el futuro raramente, y por una única razón: cuando es un futuro que fue escrito para ser cambiado.

寛訳:そして神はごく稀に未来を示す、ただひとつの理由によって。その時は変えられるべく記された未来だからだ。

これはいくつかのトラップがあると思った。ひとつはraramenteトラップ。英語で言うとrarelyで、「滅多に~ない」と訳しがちなところ。なんだけど、これは日本語の都合でそう書きがちなだけで、元の文章はあくまでも肯定文なわけです。だから「ごく稀に~する」としたほうが正しい。

ふたつめは”: cuando”という書き方。この「:」、寛訳では句点「。」で区切ることにしたけど、繋がりが強いわけで、でも繋がり切っていないわけで。このさじ加減が読みにくい。保留。

みっつめ、cuandoの意味。これ、~の時っていう読み方が普通なのだけど、「:」で区切られているので、え、受けがないじゃないの、となる。ただDLEによると、cuandoにはporqueという意味もあるとのこと。una única razónの説明をしなくちゃいけないはずだし、なるほど、こういう意味ねと。

で、総じて見るに、これはy por una única razón:を抜いて直接つなげても読めるし、razónの中身をcuandoが受けているとも読める、そういう句だと思いました。そんな二重読みある?と思ったけど、訳を考えると、「その時は変えられるべく記された未来だからだ」ってすれば行けるやん、と思ったのでした。「その時は」と「未来だ」が少しバッティングしている感じがするけど・・・まあここは、これで精一杯かなあというところ。

で、お写真です。今日はもうラクダ引きが主役ということで、ただそういう写真が見当たらないもんで、その相棒であるラクダさんに満を持して登場いただくことにしました。2011年3月、ヨルダンのペトラ遺跡の入り口にいらっしゃった、ラクダさんです。ペトラ遺跡そのものを押しのけての登場です。ペトラ遺跡自体の写真は、、、いつかそういう内容の時がきたらね。

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