錬金術つかい(寛訳49)(“El Alquimista”)

近くの野営軍基地へと彼らを連れて行った。ひとりの兵士が少年と錬金術師をあるテントの中へと押し入れた。それはオアシスで知ったあらゆるものと異なるテントだった、そこには司令官がいて参謀本部と集まっていた。

「スパイだ」、男たちの一人が言った。

「ただの旅人です」、錬金術師は応えた。

「三日前に敵の野営地で目撃されていた。そして戦士の一人と話をしていた。」

「私は砂漠を歩き星を知るものです」、錬金術師は言った。「兵隊や士族の動きについての情報は持っていません。私の友人をここまで導いていただけです。」

「お前の友人とは誰だ?」、司令官は尋ねた。

「錬金術師です」、錬金術師は言った。「自然の力を知っています。そして司令官にその並外れた能力を見せたいと願っています。」

少年は黙って聞いた。そして恐れながら。

「我々の地でよそ者が何をしている?」、他の男が言った。

「あなた方の士族に差し出すための金を持ってきました」、錬金術師は応えた、男の子が口を開くことができる前に。そして彼から袋を取りあげ、将軍に金の硬貨を渡した。

そのアラブ人は黙ってそれを受け取った。多くの武器を買うことができるだろう。

「錬金術師とは何だ?」、尋ねた、ようやく。

「自然そして世界を知るものです。もし彼が望んだならば、風の力だけでこの野営地を破壊しましょう。」

男たちは笑った。彼らは戦争の力に慣れていて、風は死の一撃を阻みやしない。それぞれの胸の中では、しかしながら、その心は縮み上がった。砂漠の男たちであり、呪術師を怖れていた。

「見たいものだ」、将軍は言った。

「三日いります」、錬金術師は応えた。「そして彼は風になります、ただその力の強さを見せるために。もしそれができなければ、私たちは謹んで私たちの命を差し出します、あなた方の士族に誓って。」

「すでに私のものであるものを差し出すことなどできんよ」、言った、尊大に、将軍が。

しかし旅人たちに三日を与えた。

少年は恐怖ですくんでいた。錬金術師が腕を支えてくれてテントを出た。

「君の恐れを彼らに感じ取らせちゃいけないよ」、錬金術師は言った。「彼らは勇敢な男たちで臆病者を軽蔑する。」

少年は、しかし、声が出なかった。しばらくしてからやっと話せた、野営地を歩きながら。投獄の必要はなかった、アラブ人たちはただ彼らから馬を取り上げるだけにしておいた。そしてもう一度、世界はその多様な言語を示した、砂漠は、かつては自由で無限の大地だったが、今は越えることのできない城壁だった。

「僕の宝をみんな彼らにやってしまった!」少年は言った。「僕が全人生で手に入れてきた全てを!」

「それは死んだらどう君の役に立つかな?」錬金術師は応えた。「君の金は君を三日助けた。ごく稀に金は死を遅らせるのに役立つ。」

しかし少年は賢者の言葉を聞くにはあまりにも怯えていた。どのように風になるのかわからなかった。彼は錬金術師ではなかった。

錬金術師はひとりの戦士に茶を頼んで少年の両手首に少しつけた、脈を運ぶその静脈の上に。落ち着きの波が彼の身体に押し寄せ、その間に錬金術師は彼の理解できない言葉を言っていた。

「望みを絶ってはならない」、錬金術師は言った、不思議に優しい声で。「なぜならそれは君が君の心と話せるのを邪魔するからね。」

「でも僕は風になることができません。」

「私伝説を生きるものは、知る必要のあるすべてを知っている。ただひとつのことだけが夢を不可能にしてしまう、失敗への恐れだ。」

「失敗を恐れてはいません。単に風になることができないのです。」

「それなら学ばなくてはならないね。君の命はそれにかかっている。」

「それでもしできなかったら?」

「君の私伝説を生きながら死ぬだろう。それは何百万という人々のように死ぬのよりもずっと良いことだ、彼らは私伝説が存在することすら決して知りもしない。」

≫まあしかし、心配してはいけない。一般に死は人を生に対してより感じやすく変わらせるものなんだよ。

一日目が過ぎた。近くで大きな戦いがあり、何人もの負傷者が野営軍基地へと運び込まれた。『死によっても何も変わらない』、少年は思っていた。死んだ戦士たちは他の者たちで置き換えられ、生は続いていた。

「もっと遅く死ねただろう、我が友よ」、衛兵はその仲間の身体に言った。「平和がきたころに死ねただろう。だがいずれにしても結局は死ぬんだ。」

その日が終わるころ、少年は錬金術師を探しに行った。ハヤブサを砂漠のほうへ連れて行っていた。

「風になることができません」、少年は繰り返した。

「君に言ったことを思い出しなさい、世界はただ神による目に見える一部でしかないということを。そして錬金術とは物質的な面に精神的な完全性をもたらすものだということを。」

「それで今なにをしているのですか?」

「私のハヤブサに食事を与えているよ。」

「もし僕が風になれなかったら、僕たちは死にます」、少年は言った。「なんのためハヤブサに食事を与えるのですか?」

「死ぬのは君だ」、錬金術師は言った。「私は風になることができる。」

~続く~


1時間56分。

おーーーい!錬金術師さんよー!なんちゅーことしてくれんねん、総じて!いろいろツッコミどころ多すぎるけど、最後の「君は死ぬけど、僕は風になれるからね~」ってやつ、おーーーーい!!一緒に死ぬって言うたやんけー!記録も残ってる!もう、、あなたは気が変なのですか?だよ。。

今節はストーリーが進むところが大部分で、あまり小難しい話は多くなかったと思います。そんななかで今日はふたつ目に留まったところを。

ひとつは口がきけるようになった少年の悪態。口を開けば悪態。

–¡Les ha dado todo mi tesoro! –dijo el muchacho–. ¡Todo lo que yo gané en toda mi vida!

寛訳:「僕の宝をみんな彼らにやってしまった!」少年は言った。「僕が全人生で手に入れてきた全てを!」

ここで少年は錬金術師がやってしまった金貨のことをtesoro/宝、Todo lo que yo gané en toda mi vida/僕が全人生で手に入れてきた全て、と言っています。これ、作者の意図が強く感じられる言葉遣いだと思いました。

「お前の宝は何なんだ」と。錬金術師がぽいっと引き渡したものに対して、少年が感情的になっているという構図に、手に入れたお金やそれまでの人生で積み上げてきたものが、どうしたって大事に思えるよね、普段そうでないと思おうとしていても、という現実も含ませていると思う。でも、お金なんですか?過去なんですか?そういう作者の意図ないしメッセージとでもいうようなものが、あるように思ったのでした。

もうひとつは、錬金術師が思い出せと言ったふたつ復習ポイントのこと。

–Acuérdate de lo que te dije, sobre que el mundo se apenas la parte visible de Dios. Y que la Alquimia es traer al plano material la perfección espiritual.

寛訳:「君に言ったことを思い出しなさい、世界はただ神による目に見える一部でしかないということを。そして錬金術とは物質的な面に精神的な完全性をもたらすものだということを。」

これ、それぞれなんでしたっけっていうことです。おそらくこれはどちらも第46節の内容を受けています(もはやどの節も相互に関連していますが)。

≫賢者たちはこの自然の世界が単なる楽園のひとつの像でありひとつの写しであると理解した。この世界の単純な存在はそれよりも完全な世界が存在することの保証だった。神はこれを創った、目に見えるものたちを通して、人々が精神の教えと叡智の奇跡を理解できるように。これが私が『行動』と呼ぶものだ。

寛訳第46節

この中から、世界とは神が創った目に見えるものによるひとつの像である、というのが、今回の復習ポイント1に対応するかと。そして復習ポイント2の「物質的な面に精神的な完全性をもたらす」というのは、この世界の目に見える物質に対して精神性を加えて読み取る、例えばハイタカの飛翔に軍隊の襲撃を見る(第38節)、あるいは貝殻のなかに海へかえる私伝説を読みとる(第48節)、それによって物質面と精神面がそろった「それよりも完全な世界」に近づくことができる、これが錬金術である、と言っているのかなと。思います。

なおおそらくこれは世界の魂に浸るというあたりとも通じる話かなと。あらゆる物質を純化したあとに共通して残るものが世界の魂で、それを通して錬金術師はあらゆるものと通じ合うことができる(第30節)。これが物質に精神面を加えて読み取るということなのかなと。思いました。

ちょっとややこしいですけれどもギリギリついて行っているつもり。

ただこれで言っても、少年が風になるという部分、これをどうするのかは、今のところ読み取れません。果たして。残された猶予はあと二日。どうする、どうなる!?乞うご期待!

さて本日の写真を考えるにあたって、まず第13節で不用意に風になった写真を使ってしまった自分を激しく叱責したい。話の展開は頭に入っていたのにも関わらず、寛訳も始めてまだ序盤、見てくれる人を引き付けたくて勝負写真を使ってしまった。浅はかである。戒めのために、ホンジュラスの首都サンホセで、ホテル敷地内とはいえ落としてしまって奇跡的に返ってきた財布の写真・・・だと流石につまらないので、その夜に食べたホンジュラス料理Anafreアナフレの写真です。フリホーレス(豆)とチーズを鍋で温めてトルティーヤチップスをつけて食べる、これがとっても美味しかった!そしてこのポットがまた可愛かった!お土産ショップでかなり長考した末に、ミニマリストとして買わないという判断をしたのだけど、これはどう考えても買いだった。そんな悔いの残るAnafreの写真です。2017年4月。

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