錬金術つかい(寛訳56)(“El Alquimista”)

少年は砂漠を二時間半歩いた、心が言うことを注意深く聞こうと努めながら。宝が隠されている正確な場所を彼に明かしてくれるのはその心なのだった。

『君の宝のあるところ、そこには君の心もあるんだよ』、錬金術師は彼にそう言っていた。

しかし心は他のことを話していた。二夜繰り返されたある夢をたどるために羊たちを手放したある羊飼いの物語を誇らしげに語っていた。私伝説のことやこれをやった多くの人々のことを話していた、遠い大地や美しい女性たちを探し求めに行き、その時代の男たちに挑んだ、思い込みや考えを持っていた人々のことを。その時間ずっと旅のこと、発見のこと、本のことや大きな変化のことを話した。

ある砂丘を上ろうとしていたとき–そしてただその瞬間のみ–そのときに心が彼の耳元で囁いた、『君が涙する場所に着いたときには注意してそこに留まるんだよ。なぜならその場所に僕はいる、そしてその場所に君の宝はあるのだから。』

少年はゆっくりと砂丘を上り始めた。天は、星たちに覆われていて、再び満月を見せていた、砂漠を一か月歩いてきたのだ。月はその砂丘も照らしていた、そこには影の遊びがあって砂漠を波に満ちた海のように見えさせ、また彼に代わって自由に駆けるよう馬を解き放ち、錬金術師によいしるしを示した日のことを少年に思い出させた。そしてついには、月は砂漠の沈黙そして宝を探す人々の旅路を照らしていた。

何分かして砂丘の上に着いたとき、彼の心は飛び上がった。満月の光そして砂漠の白さに照らされ、そびえ立っていたのは、壮大で荘厳な、エジプトのピラミッドだった。

少年は膝から崩れ落ちて泣いた。その私伝説に信念を持ったことそしてかつてひとりの王、ひとりの商人、ひとりのイギリス人そしてひとりの錬金術師に出会ったことを神に感謝していた。そして、何よりも、ひとりの砂漠の女、彼に愛が決して人をその私伝説から引き離したりしないことを理解させてくれた女に出会ったことを。

エジプトのピラミッドの何世紀もの歴史が、その高みから、少年を見つめていた。もし彼が望むならば、今にもオアシスに戻り、ファティマを迎えてただの羊飼いとして生きることもできた。なぜならあの錬金術師は砂漠に生きていた、世界の言語を理解して鉛を金にすることができるにもかかわらず。彼の科学や技を誰に見せてやる必要もなかった。私伝説の方向へと歩んでいるあいだに彼は必要としていた全てのことを学びそして生きたいと夢見ていた全くそのままを生きていた。

しかしその宝のもとへ着き、あとはその目的が達成されたときにのみひとつの業が完成される。そこ、その砂丘で、少年は泣いていた。地を見てわかったことに、彼の涙が落ちた場所で、コガネムシが動いていた。砂漠で過ごしてきた時のあいだに、エジプトにおいてコガネムシとは神の象徴であるということを学んでいた。

そこには、したがって、他のしるしがあったのだ。そして少年は掘り始めた、ガラスの売人を思い出した後で。誰もその畑にピラミッドを持つことなどできない、全人生を通して石を積み上げたとしても。

夜通し少年は示された場所を掘ったが何も見つからなかった。ピラミッドの高みから、歴史が彼を黙って見つめていた。しかし少年は諦めなかった、掘りに掘った、何度も穴に砂を運んできてしまう風と戦いながら。彼の手は、疲れ、傷ついてしまっていたが、しかし少年はその心に信念を持ち続けていた。それに心は彼にその涙が落ちた場所を掘るように言っていたのだ。

突然、現れたいくつかの石を取り除こうとしていたとき、少年は足音を聞いた。何人かの人が彼に近づいた。彼らは月に向いており、その目も顔も見ることができなかった。

「そこで何をしている?」人影のひとつが尋ねた。

少年は応えなかった。しかし怖れた。今は掘りだす宝があり、そのために怖れていた。

「我々は士族間の戦争からの亡命者だ」、もうひとつの人影が言った。「そこに何を隠しているのか知らないといけない。金が要るんでね。」

「何も隠していない」、少年は言った。

しかしその新たな到着者のひとりは彼を捕まえて穴から引きずり出した。もうひとりは彼のポケットを調べ始めた。そしてあの金の一片を見つけた。

「金を持ってるぞ!」強盗のひとりが言った。

月が彼の身体検査をしていた強盗の顔を照らし彼はその目の中に死を見てとることができた。

「地面の中にもっと隠された金があるに違いない」、もう一人が言った。

そして少年に掘るよう命じた。少年は掘り続けたが何もなかった。すると彼らは彼を殴り始めた。空に太陽の初めの光が現れるまで彼を殴り続けた。彼の服はずたずたになり、彼はその死が近いことを感じた。

『金はどう役に立つのかな、君が死なねばならないのなら?ごく稀に金は人を死から解放することができる』、錬金術師は言っていた。

「宝を探しているんだ!」ついに少年は叫んだ。

そして殴られて傷つき腫れあがった口で苦労しながら、追剥ぎたちにエジプトのピラミッドのもとに隠された宝の夢を二度見たのだと話した。

頭領にみえた者は長いあいだ沈黙した。それから彼らのひとりに言った。

「そいつは放っていい。もう何も持っていないさ。この金も盗んだに違いない。」

少年は顔から砂に崩れ落ちた。ふたつの目は仲間たちを探した、それは追剥ぎたちの頭領だった。しかし少年はピラミッドを見ていた。

「行くぞ!」頭領は他の者たちに言った。

それから少年に向かった。

「お前は死なないさ」、言った。「生きて人間はそんなに愚かでいられないことを学ぶんだ。全くここ、お前がいるこの場所で、私もおよそ二年前に繰り返す夢を見た。スペインの野原まで行って、羊飼いたちがその羊たちとよく眠るようなそして用具室に一本のシカモアイチジクがある朽ち果てた教会を探さなくてはいけない、そしてこのシカモアイチジクの根もとを掘れば、隠された宝を見つけられるという夢だった。だが繰り返すひとつの夢を見たからというだけで砂漠を渡るほど私は愚かではない。」

そして去った。

少年は苦労して起き上がってもう一度ピラミッドを見つめた。ピラミッドは彼に微笑み、そして彼は微笑みを返した、喜びに満ちた心をもって。

宝を見つけていたのだ。

~続く~


2時間33分。

・・・展開!この展開!!全く予想しない展開じゃなかったですか??日本語の文庫本を初めて読んだとき、ええーーー!ってすごくびっくりしたもの。

まず、荘厳なピラミッドが現れて感動して(ちなみに今さら言いますがLas Pirámidesなんでピラミッドは複数あります)、コガネムシがいて確信して、掘って出てこなくてアレ?って思って、足音が聞こえてゾクッとして、殴られ始めて泣きそうになって、叫んだら止んだけど放心状態、呆然としながら聞こえてきた言葉に、えええええええええええええーーーーーーー!!!

これ、第54節で錬金術師が『全ての二度起こることは、起こるだろう、必ずや、三度目が』って金をひとつ渡さなかったところが伏線になっているのだけど、もうてっきり話の山は越えたと思ってるから油断してるよね!寛訳のためにこの第54節を改めて読んで、「うわーこんな伏線あったのかー!」って思ったけど、初めて読む人に仰天展開を残しておこうと我慢しました。同じく仰天してもらえたでしょうか。

そして、それにしてもまさかスペインの朽ち果てた教会がここで出てくるとは!これ覚えてますかね、第2節、プロローグのあとの第一部の最初の節の、その第一段落で、サンチアゴ少年がたどり着いた教会です。第7節では「あのあたりは何度も通ったというのに、あの教会には行ったことがなかった」とサラリと言わしめた、あの教会です・・・!!くぅーっ!しびれるぅーっ!!

この節にて、少年がガラス商人のもとで働き始めて一か月が経過した時点の第20節から長らく続いていた第二部が終わり、残すところは最後の一節、エピローグのみとなります。ついにここまで来た!まさか一日も間をあけず最後までやることになるとは思いませんでしたが、やっててとても楽しかったし、半分くらいを過ぎてからは別件で忙しさも出てきたけど意地でやり続けるみたいなところもありました。あと一節、明日、ちゃんとやりたいなと思います。

と、その前にスペイン語。今回は概念的に難しいのはたぶんあまりなくて、表現として目に留まったところ、難しかったところを取り上げます。

まず砂丘を上り始めた場面。

El cielo, cubierto de estrellas, mostraba nuevamente la luna llena; habían caminado un mes por el desierto.

寛訳:天は、星たちに覆われていて、再び満月を見せていた、砂漠を一か月歩いてきたのだ。

このel cielo cubierto de estrellas/星たちに覆われた天(原文ポルトガル語もO céu, coberto de estrelas)という表現が単純に好きだなあと思った。星たちに満ちた天/el cielo lleno de estrellasという表現の仕方もありえたと思うし(実際あったかも)それでも素敵だったと思うけど、絶対に隙間がたくさんできるはずの星たちによって天が覆われちゃう、その感覚が良いなって。

ちなみに少年がファティマはんに旅を続けろと言われ(第37節)、たそがれていたらハイタカの飛翔を見て(第38節)、ラクダ引きに相談して部族長に話せと言われ(第39節)、部族長に話した(第40節)、そしてテントを出ると満月がオアシスを照らしていて、錬金術師に初めて出会ったのでした(第41節)。あの満月の日から1か月ということです。早いような短いような。僕にとってはちょうど15節分、つまり少年の1か月を15日間で進んできたことになります。

次、同じ段落の最後、月の照らすもの。

Finalmente, la luna iluminaba el silencio del desierto y la jornada que hacen los hombres que buscan tesoros.

寛訳:そしてついには、月は砂漠の沈黙そして宝を探す人々の旅路を照らしていた。

この後半に惑わされた。hacer queで使役、~させるの意味かなと思って、えーそのjornadaを照らすってなんだろう、と思ってしばし停滞したのだけど、よく見るとbuscanが直接法なので使役のhacerではない。つまりla jornada que hacen los hombres/人々がする旅路、でその人々が、que buscan tesoros/宝を探す人々、と読まなくちゃいけないとわかって、解決しました。あぶねかった。

ちなみにこのjornadaは2019年1月にパナマにいた人ならおなじみ、La Jornada Mundial de la Juventud (JMJ)のホルナダです。JMJの時はDay/日というニュアンスでしたが(英語ではWorld Youth Day)、同じホルナダにも旅程、遠征などいろいろ意味があるのですね。

最後、少年がぼこぼこにされた後の描写。

El muchacho cayó con el rostro en la arena. Dos ojos buscaron los suyos; era el jefe de los salteadores. Pero el muchacho estaba mirando a las Pirámides.

寛訳:少年は顔から砂に崩れ落ちた。ふたつの目は仲間たちを探した、それは追剥ぎたちの頭領だった。しかし少年はピラミッドを見ていた。

ここは、文法的に難しくはないのだけど、文脈がよくわからなかった。少年が崩れ落ちた、そして目が動いたがそれは頭領が仲間を探す目であって、少年の目はピラミッドを見ていたのだった、ということかと思うけれども。だったらeran los del jefe de los salteadoresにしてほしい気がする。んーちょっと難しかったなあ。

ついでに前のやり取りを思い出させる部分が他にもいくつもあるのでそこも回収しておきます。

「君の宝のあるところ、そこには君の心もあるんだよ」と錬金術師が言っていた、これは第47節、「なぜ私たちは心を聞かなくてはならないのですか?」と少年が尋ねたのに対する返答でした。ちなみにそのときと言い回しは微妙に異なっています。

そして「死んだらどう君の役に立つかな?」、これは第49節、めっちゃ大勢に囲まれて捕らわれたときに少年の金を全て士族長に差し出した後で、少年から咎められて返した言葉でした。こちらも言い回しは微妙に違っています。

なおその言葉が最終的に少年の命を救ったわけだけれども、第48節で錬金術師が示した「世界の単純な法」が、本当はここで活きたのかもなと思います。この場面では戦士に身体検査されたとき、最初から包み隠さず賢者の石と長寿の霊薬の説明をして、笑いあって、何の問題もなく解放されています。「私たちの前に大きな宝があるとき、私たちはそれを決して感じ取らない」。今回も、少年が最初から夢の話をしていたら、少年は殴られずに済んだのかな。そんなことも考えさせられました。

長くなりました。締めます。とはいえボコボコにされた写真もない、穴を掘った写真といえば小学校のタイムカプセルだけどあまりに個人的、んーどうしようと思いながら寛訳してたんですが、自分で書いたスペイン語小ネタからで無理やり引きずり出すことにしました。

2019年1月、パナマにて、世界中の青年カトリック信者による集会「ワールドユースデー」スペイン語通称JMJ(ほたえめほた)が執り行われました。僕自身は信者ではないのですけど、僕の家から徒歩5分の大通りをローマ教皇が通るというので、せっかくならと友達と一緒に見に行きました。そのときの動画がこちら。事故の回避のためPapamóvilという特殊な車両に乗って移動しているとは聞いていました。向こうのほうで歓声が上がり、えっそろそろいらっしゃるの?なになに?とビデオを回しました。まさにあっという間のひと時でした。

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