錬金術つかい(寛訳57・完)(“El Alquimista”)

結び

少年は名をサンチアゴと言った。見捨てられた小さな教会に着いたときにはもうほとんど夜になっていた。シカモアイチジクはまだ用具室にあり、そしてまだ朽ちかけた天井の隙間から星たちを見ることができた。かつてここに羊たちといたことそして穏やかな夜だったことを思い出した、あの夢を除いては。

今はもう群れを連れてはいなかった。代わりに、スコップを持ってきていた。

長いあいだ空を見つめていた。それからかばんからワインのボトルを取り出して飲んだ。砂漠での夜を思い出した、同じく星たちを見て錬金術師とワインを飲んでいた夜を。歩き回ったたくさんの道のりについてそして神が彼に宝を示すためにとった不思議なやり方について思った。もし繰り返す夢を信じていなかったら出会わなかったのだ、あのジプシーにも、あの王にも、あの泥棒にも、それに・・・『そうだな、一覧表はとても長くなる。だけど道のりはしるしによって記されていて、僕は間違えることはできなかった』、自分自身に言った。

気づかぬうちに眠っていてそして目覚めたとき、太陽はすでに高かった。それからシカモアイチジクの根もとを掘り始めた。

『年老いた魔術師よ』、少年は思った、『あなたは全てを知っているね。あの少しの金を残して僕がこの教会まで戻ってこられるようにまでするなんて。修道士は僕がぼろぼろになって戻ったのを見て笑ったよ。僕にこれを避けてくれることはできなかったの?』

『いいや』、風が応えるのを聞いた。『もし私が君にそれを言っていたら、君はピラミッドを見なかっただろう。あれはとても美しいんだ、そう思わないか?』

それはあの錬金術師の声だった。少年は微笑んで掘り続けた。三十分後、スコップは何か硬いものにぶつかった。一時間後に彼は古いスペインの金貨が詰まった箱を目の前にしていた。宝石、白と赤の羽がついた金の仮面、ダイヤモンドの埋め込まれた石像もあった。国がずっと前に忘れた、そして征服者がその子どもたちに語るのを忘れた戦利品だった。

少年はウリムとトゥミムをかばんから取り出した。これらの石を一度だけ使った、ある市場である朝に。人生と彼の道のりはいつもしるしに満ちていた。

ウリムとトゥミムを金の箱にしまった。これもまた彼の宝の一部だった、なぜならそれらは彼にもう二度と出会うことのないある年老いた王のことを思い出させたからだ。

『本当に人生はその私伝説を生きる人に寛大なんだな』、少年は思った。それからタリファまで行かなくてはならないことを思い出した、あのジプシーにこの全ての十分の一を渡すために。『ジプシーっていうのはなんて抜け目がないんだろう』、思った。おそらく彼らがあまりに多く旅をしたからかもしれない。

しかし風が再び吹いた。それは東風で、アフリカからくる風だった。砂漠の匂いも、ムーア人たちの侵略の脅威も運んではいなかった。反対に、運んできたのは彼がよく知った香り、そして口づけの音がゆっくりと、ゆっくりとやってきて、ついには彼の唇についた。

少年は微笑んだ。彼女がこれをしたのは初めてだった。

「今行くよ、ファティマ」、彼は言った。

~完~


1時間16分。

完結しましたーーーーー!!!!!

57日間連続、全57節、これにて終了ですー!お付き合いくださった方、本当にありがとうございました。

話は楽しんでいただけたでしょうか。これ、話自体は文句なしに面白いというか少なくとも世界で大人気になるようなものなので、楽しんでいただけなかったとしたら寛訳のせいかもしれません。その場合はぜひお近くの書店にてプロの訳者の方の本、あるいはポルトガル語をできる方・勉強中の方はぜひぜひ原文を手に取っていただけたらと思います。

・・・といったまとめの言葉はまた後日に全編通してまとめるとして、とりあえず今節について見ていきます。

書き出しは第一部の冒頭(第2節)とかなり似せていますね。というか第一文は全く同じです。

El muchacho se llamaba Santiago.

寛訳:少年は名をサンチアゴと言った。

まさかこんなシンプルな一文からこんな全ての冒険が始まるとはね。なかなか思いもよらない大冒険でした。

なおSantiagoというこの少年の名は、実は第2節とこの最終節の2か所でしか述べられていません。足下に異教徒たちを伴った白馬に乗ったサンチアゴ・マタモロの肖像というのが第16節第41節で出てきていて、同じ「サンチアゴ」なのですが、少年の名がここから来ているのかどうか。肖像の構図的に、あまりそういうイメージは湧きませんが・・・。

ただ今さら少し調べてみると、サンチアゴという名前がそもそも「聖ヤコブ」という意味のラテン語サンクトゥス・ヤコブスが訛ったものらしいです。この聖ヤコブはムーア軍(イスラム軍)との844年の戦争において白馬に乗ってムーア人たちを殺戮し、戦闘を勝利に導いたと。よく見るとなるほどSantiago Matamoros/サンチアゴ・マタモロという名前は、Santiago Mata-morosつまり「ムーア人を殺す(mata-moros)サンチアゴ」という作りになっています。こちらのサイト参照。

つまりこの物語において出てきた「サンチアゴ」という名前、征服者ムーア人の存在、それを運んできた東風といったものたちは、そこにどういった意味が込められているかというのは別として、全て繋がっていると考えるのが良さそうです。

次に「錬金術師とワインを飲んだ夜」、これは第43節、オアシスを襲った軍隊を撃退した夜、錬金術師のテントを訪れたときのことですね。

『少しの金を残して僕がこの教会まで戻ってこられるように』したのは第54節、コプトの修道院でのことで、『僕がぼろぼろになって戻ったのを見て笑った』修道士もここの人ですね。

『僕にこれを避けてくれることはできなかったの?』これは僕も思った。『もし私が君にそれを言っていたら、君はピラミッドを見なかっただろう。あれはとても美しいんだ、そう思わないか?』・・・いや・・・そうかもしれんけど。やっぱり第56節後書きでも書いたけど、あんなめっためたに殴られることなかったやん。これ、「第48節のときに言ったことちゃんと思い出してね☆」とか第54節のときに「二度あることは三度あるからねマジで!」って太字で強調しといてくれるとか、してくれたら良かったのに!・・・あるいは少年が正しく行動することになっていたから「変えられるべき未来」は記されていなくて、錬金術師にも少年が殴られることはわかってなかったっていうことかな、と、これは第44節の後書きでいろいろ考えた解釈ですが。

次、スコップが何か硬いものにぶつかった場面。ここalgo sólido/何か硬いもの、なんですけど、オヤッて思って調べたら、第17節の後書きでfeといっしょにチラッと書いたsolidaridad/団結・絆っていう単語も、このsólidoから来ているみたいです(DLE参照、solidaridad←solidario、solidario←sólido)。あ、これただのスペイン語小話です。

次、僕を惑わし続けた単語が最後にも出てきました。

Piezas de una conquista que el país ya había olvidado mucho tiempo atrás, y que ele conquistador olvidó contar a sus hijos.

寛訳:国がずっと前に忘れた、そして征服者がその子どもたちに語るのを忘れた戦利品だった。

conquista, conquistadorです。第3節第24節第28節そして第47節でも後書きで取り上げ続けたこの単語。とくに第47節の「探求は(…)いつも獲得者の試験で終わるんだ」で強く感じていましたが、実はこの単語はこの物語を通したキーワードのひとつだったのだろうなと、最終節にも出てきて改めて思いました。

「君が何かを望むときには、全宇宙が君の願いを実現するために取り計らうんだよ」、これと同じメッセージが少しずつ単語を替えて何度も出てきていますが、ここで「取り計らう」と訳した単語も、第11節で最初に取り上げましたがconspirarという「陰謀を企てる、共謀する」という意味のものが遣われています。

「サンチアゴ」という名前と同様、ここらへんも何か意味がありそうな単語の選択だなと思いました。

ウリムとトゥミムを使った唯一の場面というのは第16節、アフリカにわたってすぐ泥棒に金を盗られ、人気のなくなった広場で「老人の祝福はまだ彼とともにあるか」を尋ねた場面でした。なおこの石が初登場したのは第14節、もう全然名前を言ってもらえないから僕の方で書きますが(第15節参照)サレムの老王メルキセデクが旅立つサンチアゴ少年に渡した場面で、最後に登場したのは第26節、タンジェの集積所でキャラバンの出発を待っているサンチアゴ少年とイギリス人が出会う場面でした。

と、ここでつい魔が差して「ウリムとトゥミム」を検索。すると驚愕の新事実!「ウリムとトンミム。ヘブライ語で「光と完全」すなわち「真理の光」の意。旧約時代のユダヤ教の聖占卜器。(…)」出典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典!!まさかウリトゥミまで由緒ある言葉だったとは・・・自分の最初の読み方は浅止まりしてたんだなとつくづく思うし、じゃあ僕が気づいていない含意がもっといろんなところにあるんだろうなーと思いました。羊はまあなんとなくわかるけど、、ガラス容器とか、ハイタカとか??

宝の十分の一を受け取ることになるタリファのジプシーは第8節で登場していました。すごいねえ最終節にまで登場して!

そして最後、東風に口づけを乗せたのは皆さんご存知、砂漠の女ファティマはんです。第45節で風に乗せる宣言してましたもんね。その後の「彼女がこれをしたのは初めて」っていうのが風に乗せたことなのか唇についたことなのかはわかりませんが、まあ、知らんわ勝手にしてくれお幸せに、と言ったところです。

また振り返りがものすごく長くなってしまいました。後日さらにまとめを書こうというのですから、もう狂気の沙汰です、はい。

最後の写真です。これは一瞬迷いましたが、実はとても簡単な選択でした。2020年1月、エルサルバドルの首都サンサルバドルで訪れた、ロサリオ教会の一枚です。「虹の教会」としてご存知の方もいるみたいで、僕もサンサルバドルにいる時にお友達から存在を教えてもらって行ったのでした。とっても美しかった。そして何が簡単な選択だったかというと、美しい教会だというのも然りですが、何よりこのエルサルバドルにいるときに、本作の日本語文庫版「アルケミスト」を初めて読んだからです。これも何かのしるしだったのかもしれません。

これにて本編おしまいです。お付き合いいただきありがとうございました。

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